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理念と贈与 [メモ]


 メモ。

 それゆえカント的な「理念」が時間、空間の制限を超えて物自体を指し示しているのに対し、脱構築的な分析は「時間が空間になること」および「空間が時間になること」の超-超越論的なステイタスを主張する。デリダが印象的な一節において強調しているように、物自体とは差延だ。これはすなわち、時間の間隔化=空間化は物自体のうちに書き込まれているということだ。

(無神論P75)





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インテンシティ その3 [サッカー]


 簡単に言うと、今のバイエルンの強さは試合中の体力や当たりの強さだけではなく、練習時に鍛えられ培われる精神力の強さだ。

 



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インテンシティ その2 [サッカー]


 インテンシティとは、相手からボールを奪い、ボールを保持し、ゴールを奪うという強い「意志」のことだ。

 ビエルサはその「意志」に「欲求」と「欲望」を加えている。

 彼は90分間、ボールを保持し、取られたらすぐ取り返すという意志を継続するよう、選手を洗脳し続ける。

 それがサッカーだという「虚像」を現実化しようとしている。

 虚像というのは、つまり現実的ではないからだ。

 それをやると怪我をするし、少なくともシーズンを通して体力がもたない。

 ペップはその「虚像」を、現実的に実現しやすいようにアレンジしている。

 それがペップの監督としての成功につながっている。

 言い換えると、ビエルサの失敗に基づいて、ペップは成功している、という側面がある。





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インテンシティ その1 [サッカー]


 近年のバルサにはインテンシティが欠けていると言われている。

 2020/8/15のCLバイエルン戦(2-8敗北)後のフレンキー・デ・ヨングでさえそう発言している。

「彼らが早々に先制したけど同点に戻せたし2つの決定機もあったから、最初の15分から20分はバイエルンに勝てると信じていた。最初はそうだったんだよ。でも、彼らは僕らよりもはるかに優れていた。才能の問題ではなく、インテンシティと運動量の問題だと思う。それらのことを変えないといけない」


 しかし、インテンシティとは何か、定義はどうなっているだろうか。

 スタミナがあって沢山走り、強く相手に当たることがインテンシティだと勘違いしていないだろうか。

 90分間、相手の動きを封じ、走り続ける体力をインテンシティだと勘違いしていないだろうか。





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ティキ・タカ再び


 ティキ・タカとは目的ではない。

 点を奪われないための手段でもない。

 ゴールを奪うことを目的とした手段だ。

 パスを回すことだけがティキ・タカだと思っているならば、それは誤りだ。





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ビエルサ [サッカー]


 オレはバルサファンだが、ペップの関係でビエルサのファンでもある。

 といってもオレが把握している戦術的な概念は単純だ。

 守備は、バスケで言うところの、オールコート・マン・ツー・マン(もちろんそう簡単ではないが、そんなイメージ)。

 攻撃はいくつかの(どころか無数にある)パターン化されたものを練習し、試合での実行精度を上げていくというものだ。

 パターンは相手チームの特徴とトレンドを、監督の指向を踏まえて選択することになる。

 で、そのパターンの素は日々の世界中の試合観戦の中から「発掘」され続ける。

 要するに理論上、攻撃パターンは無限で、しかも日々更新されていく。

 これがビエルサの狂気と呼ばれるものの正体だ。

 つーかペップはもちろんそうだし、「ベンゲルノート」を読む限りではベンゲルにも似たようなところがある。

 いずれにせよ、体力を競う、ボックス・トゥ・ボックスを求めるようなサッカーではなく、サッカーをテクニカルでスペクタクルなスポーツと捉えているからこそ、求道的に情熱を傾けていけるのだろう。

 ビエルサのビエルサたるゆえんは、メガクラブには近寄らず、勝利に飢えた街のクラブで結果を出すことだ。

 彼は2018年からリーズを率いて、チームを一部へ昇格させた。






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贈与という理念 [メモ]


 メモ。

 「理念」の対象は時間を超えているがゆえに、そのものとして経験しえない。だが反対に贈与は、それ自体時間内的なので、そのものとして経験されない。ほかならぬ贈与という理念こそが、そのものとしての贈与など存在しないことを説明している。というのも贈与が贈与でありうるのは、それ自体と異なるものになることによってだけだからだ。

(無神論p75)


 贈与にある種の特異性を与えるのは、それが経済的活動と異なるからだ。

 要するに贈与は経済的な意味から離脱した行為。






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家族の夢


 昔と今の家族がごちゃごちゃになる夢を見た。

 単に時代が錯綜しているだけのことだが。




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懐かしい人たちの夢


 懐かしい面々が出てくる夢を見た。

 昔の会社で会って、今後はたぶん会わない人たち。

 こういうのは何かあるのだろうか。





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汚染


 最初から汚染されている・・・ということを肯定的にとらえるというのは、結構難題だと思われる。

 しかしながら、そう考えることのメリットは大きい。





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存在と時間


 存在と時間・・・の本当の意味が見えてくるのは、世界内存在というものが、有限の時の内の存在(表現として正しくはないが「時間内存在」と書きたいくらいだ)として「在る」ということを知ってからだ。







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科学信仰


 宗教よりも科学信仰は質(たち)が悪い、という説がある。

 反証可能性という錦の御旗を、ただの旗として振り回しているだけだと、そのうち○○になるということだろう。






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存在の欠如


 つまり、存在の欠如など、どうでもいい。

 「欠如そのもの=穴」すらどうでもいい。

 ジジェクふうに言えば、「限界は欠如に先行する」となる。

 こう考えるなら、残念ながらフロイトは大したことがない。

 言いかえると、これは死の欲動の位置づけの問題だ。






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生死の対立 [メモ]


 メモ。

 生/死の対立の複雑化としての生き延びについて述べるあらゆることは、私にあっては、生の無条件的肯定に発しています[…]。それは、死よりも生きることの、すなわち生き延びることのほうを好む生者の肯定です。というのも、生き延びとはたんに残存するもののことではなく、可能な限り強烈な生のことですから。幸福と快楽の瞬間ほど、私が死ぬことの必然性に取り憑かれることはけっしてありません。享楽することと、迫る死を思い悲嘆に暮れて泣くこと、私にとってそれは同じことです。

(『生きることを学ぶ、終に』P64 無神論P66)





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科学者のディスクール


 資本家のディスクールに続いて現代を表すものは、たぶん科学者のディスクール(統計的超自我に関連する仮説)だ。

 資本家のディスクールは「去勢」を排除し、科学者のディスクールは「父の名」を排除する。

 「去勢」も「父の名」もない時代に、精神分析の臨床がどういう役割を果たすのか(・・・おそらく、20世紀半ばまで機能していたものは、すでに消失しているだろう)、という根本的な問題に目をつぶれば、実に興味深い考察だ。






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死後の生


 きわめて個人的な意見だが、死後の生は存在しない、と思う。

 「可死」は普遍的だが、死後の生まで言及するのは行き過ぎかと。

 なぜならば、それは容易に不死を連想させてしまうから。

 そして、それに希望はないから。

 ・・・もちろんベンヤミンや高橋哲哉氏の「流れ」を受けてのことだということはよく理解しているつもりだが。






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ねばならない [メモ]


 メモ。

 この一節では、デリダの著作にもっとも一貫して現われる主張のひとつが繰り返されている。すなわち、予見可能な未来へと開かれていなければならず、有限性と脆弱性がなければならず、物であれ人であれ、やって来るものに対して開かれていなければならないという主張だ。この「ねばならない」というステイタスが正しく理解されなかったせいで数多くの、影響力の大きな誤解が生じてきたのだが、本書において私はそれに吟味を加えるつもりだ。それらの誤解の共通点は、デリダの議論を規範的な様相をもつものとみなしてしまっていることにある。われわれが他者に開かれていなければならないのはなぜかということの超-超越論的な記述が、われわれは他者に開かれているべきだとする倫理的な命令と混同されている。ところが構造的に他者へと曝されているという事態からはいかなる規範やルール、命令も引き出せないということを、デリダはつねに主張している。他者はいかなる物ないし人でもありうるし、それに対してどのように行動すべきかを前もって知っておくことはできない。それどころか他者への関係は時間の到来と不可分だ--つまり他者は絶えずその特徴を変化させかねない。先に引いた一節でデリダが強調しているように、他者はもはや、あるいはいまだ存在しないのだから、それに立ち向かうことも、ただそれと対峙することさえもできない。決してそれ自体として与えられることはないから、私が決定的な[生命にかかわる]好機(チャンス)として受け入れるものが致命的な脅威に転じることもありうる。

(無神論P60)






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自己免疫性 [メモ]


 メモ。

 その名に値する出来事が起こるのだとすれば、その出来事は、あらゆる支配を超えて、受動性を触発せねばならない。つまり出来事は、絶対的な免疫性も何の補償もなしに、自らの有限性のなかで地平なしに、剥き出しの傷つきやすさに触れねばならない。その場合には、他者の予測不可能性に対して立ち向かうことは依然としてできない。あるいはもはやできない。この点からみれば、自己免疫性は絶対的な悪ではない。その自己免疫性は、他者に曝されること、すなわち到来する物ないし人--したがって計算不可能にとどまるほかないもの--に曝されることを可能にするからだ。もし絶対的な免疫性があるばかりで自己免疫性がないとしたら、もはや何も起こらないだろう。こうなると、もはや待つということも期待するということもないだろうし、互いに期待しあうことも出来事を期待することもないだろう。

(ならず者たち P290 無神論P60)






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一度自己化する


 一度自己化する理由は、おそらく、未来世代での環境対応可能性を模索するためだろう。






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異物


 最初の異物は否定されない。

 むしろ自己として歓迎される。

 あとからの異物は敵だ。

 なので、異物を取り込み自己化したうえで排除が試みられる。





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多型倒錯


 多型倒錯を否定するのは特権的シニフィエおよび特権的シニフィアンだということになる。

 そんな些細なことで人はビョーキになる。





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特異性


 なるほど、特異性に対置するのは可塑性だということが分かった。







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自己の維持 [メモ]


 メモ。

 リンパ球の多くは寿命の短い細胞で、数十日しか生きない。稀には何十年も生き延びる長命のリンパ球が存在し、それが記憶を担っているとされている。しかし、通常のリンパ球は、一日に百億個の割合で死んでいく。すなわち免疫細胞のうち0.5%は毎日入れ替わる。一秒間に百万個ずつ死んでいく勘定だ。

 免疫系の正常な活動を維持するためには、毎日同じ数のリンパ球が作り出されなければならない。そのサプライは、すでに存在する細胞の分裂によるほかに、常時骨髄にひそんでいる造血幹細胞が、複雑な分化の過程を通ってTおよびB細胞に分化することによって行なわれる。

 いかなる細胞が死んだのか、また死ぬ予定にあるのか、ということを知るすべもなく、胸腺は異なった機能、そして異なった認識能力を持つ細胞を新たに作り出し、送り続ける。こうして、「自己」以外のあらゆるものを相手にできるはずの反応の多様性を作り出し、そのレパートリーを維持するわけだ。B細胞のほうもまた、ランダムなV・D・C遺伝子の組換えによって、新たな反応予備軍を送り出してくる。それらの細胞は、もともとあった「自己」を大きく変更させることもなく「自己」の戦列に加わり、その時点での「私」の一部となる。

(『意味論』P113)






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不死と可死


 もしオレが不死なら、すべての問題を先送りしてしまうだろう。

 だって時間は無限にあるのだから。

 若いときの発想に似ている。

 しかし、だんだんと先が見えてくると、身近な問題のいくつかを解決しようと努力する。

 それは自然なことだ。

 先の短い人に経営の最終責任を負わせる意味は、そこにしかない。

 ジジイが元気でなればいけない理由は、もしかして、それだけかも。




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ヘイトスピーチの原理的構造


 ヘイトスピーチに対して、オレはまったく興味ないんだが、その基本的・・・原理的構造は、「オレは知っているが、お前たちは知らない、だからお前たちは間違っている、そしてオレはつねに正義の側にいる」となっている。

 これは、当初他者のいる位置に設定していたはずの「知っていると想定された主体」を自らの場所に移動させるという、典型的な倒錯的構造のなせる技なんだが、もちろん当人にその自覚はない。

 この倒錯的構造に陥らないためには、「オレは白痴だ」という「ミレールの師」的な自覚が必要となる。

 「白痴」の話は何となくソクラテスの「無知の知」と似たようなところがあるけど、否定神学と脱構築の違いが何かを知っているなら、混乱しないだろう。






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自己崩壊を内包するシステム [メモ]


 メモ。

 単純な自己言及式のコンピューターが、途方もない間違いを犯して株価を暴落させたりするように、超システムもまた恐るべき脆さを持っている。システム内のひとつの構成メンバーに一定以上の障害、あるいは欠落を生じたとき、超システムは不連続的に破滅(カタストロフィー)に陥る。

 その典型的な例が、エイズと老化だ。次章で述べるように、エイズはCD4を持つヘルパーT細胞に、老化ではCD8を持つサプレッサーおよびキラーT細胞にかなり選択的な障害を与える。それが単にシステム内の一メンバーの障害に止まらず、超システムの成立の条件に関わるところから、エイズも老化も、自己のアイデンティティを危うくする。超システムという概念は、自己の崩壊を内包している。

(『意味論』P108)






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超システムと偶然性 [メモ]


 メモ。

 超システムとしての免疫系こそ、個体の生物学的個性を決定している。同一環境下で、同じ空気を呼吸しているにもかかわらず、一部の人間だけが花粉の季節にアレルギー性の反応を起こす。自己の内部環境にある主要組織適合抗原(MHC)のうち、HLA-B27という形質を持っている人は、持っていない人の百倍以上も強直性脊椎炎にかかり易い。それは、免疫系が、幹細胞の分化を通して免疫学的「自己」を確立する際に、「自己」内部に存在するHLA抗原に言及(リファー)したためと考えられている。この自己言及によって、反応性のレパートリーが変わる。

 もっとはっきりしているのは、一卵性双生児における抗体のV遺伝子の使い方の差異だ。一卵性双生児は、遺伝的には同一で、したがって生物学的には区別できない。ところが、抗体として作り出している免疫グロブリンのV領域遺伝子の使用頻度を調べると、けっして同一ではない。ランダムに構成されたV遺伝子の中で、双生児の片方はある特定の遺伝子を使っているB細胞を超システムの中に温存し、他方は別の一セットを超システムに取り入れた。こうして先天的には決定されない個体の個別性が作り出された。もし片方が百日咳にかかり、他方がかからなかったとすれば、この二人の免疫学的「自己」は一生異なるはずだ。それを決めているのはまさしく偶然だ。偶然を積極的に自己組織化のなかに取り込むことができるのは超システムのほかにはない。

(『意味論』P105-6)





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超システムの例 [メモ]


 メモ。

 超システムの例としては、受精卵からの個体の発生がある。そのいくつかの段階は明らかに、確率論的に決定され、さらに作り出された場に適応し、変容しつつある自己に言及することによって先に進む自己組織化の過程だ。

 脳神経系は、超システムの最右翼に属しているだろう。個性や思考様式の成立は、刻印(インプリンティング)と言うより、可塑的な形成過程が積み重なって「自己」を新たに編成しなおすわけなので、超システムの成立過程と捉えることができる。免疫反応で使われる用語、例えば免疫学的記憶、寛容、麻痺、片寄り、個体差、あるいは系統差などが、精神神経学的用語に酷似しているのは、免疫系の挙動が、脳神経系のそれと対比しうるためだ。

(『意味論』P105)





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可塑性 [メモ]


 メモ。後日、この直前の文章も紹介しよう。

 こうして、免疫系における「自己」と「非自己」の識別能力は、環境に応じた可塑性を示す。

 免疫系というのはこのようにして、単一の細胞が分化する際、場に応じて多様化し、まずひとつの流動的なシステムを構成することから始まる。それから更に起こる多様化と機能獲得の際の決定因子は、まさしく「自己」という場への適応だ。「自己」に適応し、「自己」に言及(リファー)しながら、新たな「自己」というシステムを作り出す。この「自己」は、成立の過程で次々に変容する。T細胞セレクターも抗体分子も、ランダムな遺伝子の組み換え、再構成によって作り出されていることは先にも述べた。その上、外部から抗原という異物が侵入する度に、特定のクローンが増殖し、さらにインターロイキンなどによって内部世界の騒乱が起こる。抗体の遺伝子には、高い頻度で突然変異が起こることは前に述べた。こうした「自己」の変容に言及(リファー)しながら、このシステムは終生自己組織化を続ける。それが免疫系成立の原則だ。

(『意味論』P104)





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驚嘆 [メモ]


 メモ。

 そこに抗原という異物が侵入すると、それに対応するクローンが刺激され、増殖が起こる。クローンはさまざまなインターロイキンを作り出し、多種類の細胞が刺激される。キラーT細胞が刺激されれば、「非自己」化した「自己」の細胞を殺す。NK細胞(ナチュラルキラー細胞)と呼ばれる特異性のにぶい細胞も参加する。やがてB細胞は抗体の合成を始める。サプレッサーT細胞が始動すれば反応は収束する。この経験は記録され、免疫細胞系は新しい平衡状態を獲得する。

 この一連の免疫反応が成立するためには、まず造血幹細胞からT細胞、B細胞、マクロファージなどさまざまな細胞への分化が正確に起こっていなければならない。

 ・・・

 そうした多様な細胞群が、インターロイキンの生産と需要を介して、感染など「非自己」の侵入に対しては、合目的的なまとまった反応を起こす。反応は、一般に必ず収束し、記憶を残す。このシステムの成立を規定しているのは何だろうか。

(『意味論』P102)






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