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知的に理解する


 例えばラカンを知的に理解しようとすれば、必ず抜け落ちるものがある。

 というか、抜け落ちるモノの方が多い。

 ラカンのみならず、これは一般的に言えることだ。

 知的に理解した(つもりになった)後での、実践、現実への対応、政治との向き合い方を考えるときは、その抜け落ちたものを如何にして拾うか、という作業が必要になる。





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政治的知


 政治は難しい。

 なぜなら、政治的な知は、政治的な行動と一貫しているように振舞うからだ。

 知は、反省的に行動へと反映されなければならない。

 なぜならば独断的な知に依拠すれば、独断的に行動するしか術がないからだ。

 言うまでもないが、平和とは、独断的知や独断的行動を避けることだ。

 そして、精神分析や脱構築は、知と行動が断裂していることを示している。

 それは、欠点かもしれないが、しかし、オレたちの有効な基準だと思う。






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図式とゾンビ


 ラカンがマテームやトポロジーやボロメオの輪で遊んでいるときに、たぶん彼は、そこに父の名が失われていることを経験し、そしてその恥ずべき代替を見出したはずだ。

 つーか、そうでなくても構わないが、そう考えた方が現代ラカン派にとって都合がいい。

 鉄の秩序は排除型の秩序で、オレたちが理想だと思っている包摂型の秩序とは程遠い。

 だからこそ、それは普通精神病と直結していくんだが、そうは言っても、「で、それが何か?」という話だ。

 排除された父の名の現実界での回帰・・・などというものが、オレたちを支配しているとすれば、それは既にシフトチェンジした思考形態で、その過去の一部もしくはすべてはゴミ箱へと捨てなければならない。
 
 そういう文脈において、ラカンは死んだ、と言うべきなのか否か。

 ミレールたちはいまだ参照点として70年代へと遡っているが、死んでいるにもかかわらず「アンデッド」という無限判断の存在として認識しているようなものだ。

 つまり、ゾンビとともに、ゾンビとして現代ラカン派は蠢いている。






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弔意の表し方


 有名人が亡くなると、別の有名人が弔意をすぐにあらわさないと、非難されるという話がある。

 人の死の受け止め方は人によってさまざまだし、それを自分の中に受け入れる時間もさまざまだし、亡くなった人との距離によっても相当違うし、そもそも弔意の表し方だって必ず外に出さなければならないわけではない。

 原則的に弔意は遺族に向けて示すべきものなので、遺族との関係が薄い場合は表に出さずともマナー違反にはならないだろう。

 という当たり前のことを当たり前だと思わないのは、要するに想像力というか、相手を慮る力が不足している。

 そんな力の不足している人間が偉そうなことを語るわけがないので、わざと「インターネット空間がすべて」というような明らかに誤ったことを前提として、オモシロオカシク雑談しているのだと判断し、オレは無視している。







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誤り


 正しさや誤りなど、オレにとってはほとんど役に立たなくなってしまったが、それでも他人が書いたものの誤りによって、学ぶことは多い。

 誤ってくれたことに感謝しよう。

 つまり、正しいことが書かれている書物ばかり読んでいると、人は〇〇になるということだ。

 なので、オレも間違ったことをたくさん書き散らすことにしよう。






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政治的正しさ


 少し前に流行った政治的正しさ(PC)の問題点は、エレーヌ・ブルースの論文を読めば理解できる。

 しかし、ほんとうの問題は、知以外の部分、つまり無知の部分、存在の部分、享楽の部分にある。

 それを感覚的に自らのものとするためには、地域としての新宿を研究するとよいだろう。






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政治的な観点


 そこに政治的な観点はない。

 希望をもつべきだが、適切な政治など存在しない。

 また、権力と反権力はまったく同値だ。

 さらに言うと、反権力は権力以上に暴力的に機能する。

 ということにさえ気づいていれば、ジジェクのように地面を這いずり回ることは大切なことだと思う。





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参照点のズレ


 この考察の参照点の一つは、当初エレーヌ・ブルースの論文だったが、少しずつ離れていき、別の何か、一つの有力な、あるいは無力な、小さな参照点を探し求める。






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第6節ヘタフェ戦 続き [サッカー]


 バルサは全体的に代表ウイークの疲れが残っているようで、デ・ヨングがいなかったらボールを運べず、プレスの餌食なって、もっと点差がついていたと思う、だんだん替えの利かない選手になってきた(相手が疲れてきたこともあり、後半35分にブライトバイテと交代)。

 たぶんブスケツは、デ・ヨングのポジションのケアと、メッシの降りてくる場所のケアの両方できるという理由で、クーマンはブスケツを外せない、それでいいのかという問いに対しては、メッシがいる以上仕方ないという回答しかないだろう。

 前節のセビージャ戦と今節の試合を観ると直近の課題は決定力、という能のない結論になるが、逆に言うと決定力だけなら、メッシやグリーズマンが徐々に上げてくるだろうからそれほど心配していない。

 もう一つの課題は右サイドでの展開が少ないことだが、グリーズマンやメッシが点を取れば自ずと解決するので、これもまた気にしなくてもよい。

 クーマンは戦略家ではないので、策はない(スロイデルにはあるので今は問題ない)が、若手を我慢して使うのには好感が持てる、トリンコンなんかどう見ても試合で効いていないが、彼のこの経験が後で役立つはずだ。

 つーか、短時間としても、リキ・プッチまで使ったのは驚いた。

 ペドリとデストはもっと試合で観てみたいと思わせる素材だ。

 2年後にはバルサはメッシ抜きでも期待できる強いチームになっているはずだが、それまでクーマンがもつのかどうか、それが問題だ、ゴタゴタ(例えばメッシ残留問題)が残っているうちに経験の少ないチャピに代えるのは失敗しそう。






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第6節ヘタフェ戦 [サッカー]


 結果は 1-0 でバルサの負け。

 芝の状態とか審判の裁き方とかについては敢えて触れない。

 例によってヘタフェは体力勝負のライン上げハイプレスで、こんなのサッカーではないという意見があるようだが、現代的戦術とも言える。

 あのラインの上げ方はリスクたっぷりで、実にオモシロい、数年前のただの荒いサッカーとは違う戦術的な意志を感じている。

 最終ラインにボールがあるときに、ドブレピボーテのところからしっかりマークすれば、ビルドアップが遅れる、うまくいけばボールが取れる。

 良い作戦だが、これを90分続けるのは大変に決まっている、しかしヘタフェはそれをやろうとしている、結果として選手同士当たる機会が多いので荒れた試合になりやすい。

 このハイプレスをどうやって剥がすのか、これは世界のサッカー監督の誰もが課題としているんだが、バルサの場合はメッシのことを除けば「現代アヤックス方式」と呼ぶべき戦術になっている。





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