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世界の概念 その6 [世界と意味]


 というわけで、山田晶先生の講座からの引用を終了する。

 M・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』と似ている点、違う点がいろいろあって興味深い。

 山田先生のロジックだけでも、ガブリエルの定義する「世界」は、必然的に「われわれの理解を超え」てしまう、と言うことができる。


 また、「一 世界の概念」以外に、この講座では「六 実在の世界」が、ガブリエルの実在論と対峙可能な議論だろう。

 興味深いことに、実在論の陥りがちな罠について触れているので、これについては各自確認してほしい。






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世界の概念 その5 [世界と意味]


5.世界はそれ自身のうちに、その世界を構成する要素としての個物とともに、個物がそこにおいて在る場所を含んでいる。しかしその世界そのものが、有限な世界領域として限界づけられるために、「そこにおいて」限界づけられるべき場所を必要とする。その場所は、その限界に関していえば限界づけられておらず、その意味で無限だ。しかしその場所そのものが、また一つの世界ということがありうる。その場合には、その世界は世界としてあるかぎり有限だ。有限だとすれば、その場所は、それが一つの世界としてあるかぎり、そこにおいて在る場所を持たなければならない。すなわち、世界において在る場所は、それが一つの世界としてあるかぎり有限だから、場所に含まれ、その場所が世界としてあるならば、またその場所に含まれる。しかしこの関係を無限にすすめることはできない。それゆえわれわれは究極において、それ自身すべての世界を自らのうちに含みながら、それ自身はいかなる有限な世界でもない「世界の場所」を想定せざるをえない。それがいかなるものかは、現在のわれわれの理解を超える問題だ。






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世界の概念 その4 [世界と意味]


4.世界は必ず「何かの」世界だ。「魚の」世界で、「人間の」世界で、「自然の」世界だ。更に、世界のうちに含まれる個物は、その世界のうちに無関係に併存するのではなくて、何らかの仕方で相互に関係している。その関係は世界において統一される。統一された全体が世界だ。このようにある世界を認めることは、限界を設定することだ。それゆえ世界は世界としてある限り、必ず有限だ。じっさい、いかなる世界も、世界としてあるかぎりそれに固有な全体性と統一性とを有し、それによって他から区別される限りにおいて「世界」として認められるのだから。





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世界の概念 その3 [世界と意味]


3.たとえば無限空間に、相互に交渉のないガラス玉が、散らばって浮かんでいたとする。このときこの空間は、ガラス玉にとって一つの世界を成すといえるだろうか。上にみられた二つの条件をこの空間はみたしている。第一に、空間はガラス玉を含んでいる。第二に、ガラス玉はこの空間において在る。にもかかわらず、ガラス玉にとって、この空間は「世界」だとはいえない。空間がガラス玉にとって一つの世界を形成するためには、更に別の条件が必要だ。それは、ガラス玉を含む空間が、一つの統一を持つということだ。「統一」と「一」は区別されなければならない。「一」は単なる数の始めだ。これに対し、「統一」は、多のものを「統」べて「一」にしている。ゆえに「統一」は単なる一ではなくて、多を統べる一として「多」を含まなければならない。ところで多が何らかの仕方で一を成すためには、多は相互に何らかの仕方で関係し合うことが必要だ。その関係を通して、多は一に統合されるのだ。それゆえ、相互に無関係なガラス玉の併存は、一つの世界に含まれない。これに対し、もしもガラス玉が、たとえば相互に映し合うとか、引き合うとかいう仕方で関係し合う場合には、この空間はガラス玉が相互に関係し合う場所としての統一を持ち、ガラス玉を含むこの空間は、一つの「世界」としての性格を持つことになるだろう。同じことは、宇宙においてもいうことができる。星辰は無限空間に散らばり、それぞれの仕方で動きながら、しかし一つの「世界」を成す。それは、この宇宙が単なる空間ではなくて力の場で、その場のなかに在るすべての星辰は、統一的な力学の法則に従って動いているからだ。




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世界の概念 その2 [世界と意味]


2.たとえば「湖」を取ってみよう。それは水の全体だ。しかしそれだからといってわれわれは、「湖」が、この水、あの水、等から成る「世界」だとはいわない。湖には無数の魚が生きている。魚にとって「湖」は「世界」だといわれる。何故だろうか。たしかに湖は魚を含んでいる。しかし魚を全部寄せ集めたものが湖ではない。水と魚を含むものが湖だ。しかし、水と魚とを全部集めたものが湖だというだけでは、湖が魚にとって世界だという意味は理解されない。その意味が理解されるために、湖における水と魚との関係が考えられなければならない。水と魚は同じ資格で湖の部分を成しているのではない。魚は水「において在る」という仕方で水と関係しているのだ。「において在る」場所としての水は、そこに在るものとしての魚にとって他者だ。「において在る」場所としての水と、「において在る」魚との両方を含む全体だからゆえに、湖は魚にとって世界だといわれるのだ。このことは、他の世界についてもいえる。たとえば天はひとつの世界だといわれる。しかし単なる純粋空間だけならば「世界」とはいわれない。「天」はそこにおいて諸々の星が運航する場所を含むがゆえに「世界」といわれるのだ。すなわち「世界」は、それにとって世界となる要素とともに、その要素がそれ「において在る」場所としての要素を、自らのうちに含まなければならない。この二つの要素は非連続的で、一方は他方にとって他者の関係に在るのだ。





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世界の概念 その1 [世界と意味]


 山田晶先生が「世界」についてお書きになられた文章を紹介しよう。

 新岩波講座・哲学4『世界と意味』(1985)「一 世界の概念」より(語尾等をやや現代風にアレンジ)。


1.「世界」ときくとき、われわれがこの語のもとにまず了解するのは、何らかの「全体」を意味しているということだ。たとえば「世界史」ときくときわれわれは、それがある特定の民族の歴史ではなくて、古今東西すべての国々を含めた「全体」の歴史ということを了解する。また「自然世界」ときくとき、それが個々の自然物や自然領域を含めた「全体」としての自然ということを了解する。では、「全体」は常に「世界」だろうか。たとえば1枚の鉄板は多くの部分に分割される。その意味で、それは多くの部分から成る全体だ。しかしわれわれは、1枚の鉄板が鉄片から成る「世界」だとはいわない。これらの例はわれわれに、「世界」は全体だが、「全体」は必ずしも世界ではないことを教える。「全体」が「世界」と成るためには、なお別の表現が必要だ。それはいかなる条件だろうか。





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