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leekantokuのプロフィール

自己紹介

ニックネーム:
leekantoku
出身校:
札幌予備学院
職業:
斜線を引かれた主体
出没場所:
ここ
このブログに書いていること:
クソの役にも立たないこと

好きなモノ

趣味は?
否定的なもののもとへの滞留
好きな音楽は?
レゲエ
大好きなものは?
エローメノン

彼女たちが直面するのは「名誉か命か」という選択ではなく、まったく別のもの、彼女たちの命にはまったく無関係な選択だ。彼女たちが突きつけられているのは、彼女たちの<大義>、彼女たち自身を存在のレベルで決定する<大儀>を貫くために、この彼女たちの存在そのもの、すなわち名誉を捨てるかどうか、という選択だ。つまり、「生きる理由」を選んだ場合、その瞬間、彼女たちはこの「生きる理由」を失ってしまう。(A.Z "E" p263)



「ナルシシズム入門」がそうした行為なのは、世界の全秩序の例外のコギトという概念に、フロイトが革命的な一撃を放っているからだ。つまりこの論文におけるフロイトのふるまいが、ラカンがいうように画期的なのは、思考や行為の外に自己の安全な姿があるという考えから、精神分析を切り離しているからだ。ナルシシズム論が押し出す命題、「我愛するがゆえに、我あり」は「我思うがゆえに、我あり」よりいっそう危険で大胆に思えて感動的だが、それは世界よりもかけがえのないもの、要するに「わたし」を危険にさらしているようにみえるからだ。対象備給は懐疑以上に主体の座を揺るがすが、フロイトはまさに対象備給を通して、主体の「わたし」の確証に達そうと企てたのだ。
(J.C "I" p114)



アモールの不意を襲うプシュケ

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