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図式とゾンビ


 ラカンがマテームやトポロジーやボロメオの輪で遊んでいるときに、たぶん彼は、そこに父の名が失われていることを経験し、そしてその恥ずべき代替を見出したはずだ。

 つーか、そうでなくても構わないが、そう考えた方が現代ラカン派にとって都合がいい。

 鉄の秩序は排除型の秩序で、オレたちが理想だと思っている包摂型の秩序とは程遠い。

 だからこそ、それは普通精神病と直結していくんだが、そうは言っても、「で、それが何か?」という話だ。

 排除された父の名の現実界での回帰・・・などというものが、オレたちを支配しているとすれば、それは既にシフトチェンジした思考形態で、その過去の一部もしくはすべてはゴミ箱へと捨てなければならない。
 
 そういう文脈において、ラカンは死んだ、と言うべきなのか否か。

 ミレールたちはいまだ参照点として70年代へと遡っているが、死んでいるにもかかわらず「アンデッド」という無限判断の存在として認識しているようなものだ。

 つまり、ゾンビとともに、ゾンビとして現代ラカン派は蠢いている。






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弔意の表し方


 有名人が亡くなったとき、別の有名人が弔意をすぐにあらわさないと、非難されるという話がある。

 人の死の受け止め方は人によってさまざまだし、それを自分の中に受け入れる時間もさまざまだし、亡くなった人との距離によっても相当違うし、そもそも弔意の表し方だって必ず外に出さなければならないわけではない。

 原則的に弔意は遺族に向けて示すべきものなので、遺族との関係が薄い場合は表に出さずともマナー違反にはならないだろう。

 という当たり前のことを当たり前だと思わないのは、要するに想像力というか、相手を慮る力が不足している。

 そんな力の不足している人間が偉そうなことを語るわけがないので、わざと「インターネット空間がすべて」というような明らかに誤ったことを前提として、オモシロオカシク雑談しているのだと判断し、オレは無視している。







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