ダラダラ読書 その2
というわけで、ダラダラと『名を救う』を読み始める。
否定神学というのは、オレの勝手な解釈では「理性の暴走」を利用して、把握不可能な「神」を捉えようという発想だ。
暴走とは、例えば分数の分母にゼロを置いて考えるようなもので、無限大への飽くなき追跡を「人間」が実行することによって、「限界を超えた」という意味での思考不可能なものを、作業として捉えることが、可能になる、という楽観的な発想だと言える。
ダラダラ読書 その1
ダラダラと『信と知』を読んでいる。
これはもしかすると、デリダの後期思想の多くの要素が闇鍋のように放り込まれているのではないか。
とはいえ、オレは宗教や政治論には興味がなく、ほぼ「真理論」とか「特異性と普遍性の対比」としてしか読んでしない。
『信と知』の内容が濃すぎて、食アタリを起こしそうなんだが、今後ダラダラ読み続けているうちに、きっと数年後には消化されるだろう。