ナイーブ
哲学者が政治に向かうときは、オレの知る限り、実にナイーブなケースが多い。
それだったら発言したり、書いたりしなければよいのに、と思うほどだ。
政治的なことを匂わせて書く哲学者の中で、デリダはうまい書き方をする方だと思う(ジジェクは大きな目的の一つが政治なので評価外)。
カント
メンドクサイが、カントに倣って考えてみよう。
オレたちは感性によって外部に触れ、悟性によって自らの魂の内部へと到達する。
それを抽象的に思考して捉えなおすのが理性の役割だ。
理性が捉えているものは、たくさんのモノが抜け落ちている。
だからそれらをどのように拾っていくか。
精神分析のようにシニフィアンの欠如のシニフィアンとして拾うのか、脱構築のように差延の効果として拾うのか。
あるいはまた、何もせずにただ把握する前の状態を再現し、ジッと観察するだけなのか。