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メシア性


 デリダのメシア性(メシアニズムなきメシア的なもの)は政治的文脈で語られている、と思われているようだが、そんなことはオレにはまったく関係がない。

 そうやって数学の公式に当てはめるように、安直に読むことこそ、脱構築とは程遠い。

 そもそも脱構築すらどうでもいいんだが。







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神なき時代の普遍性は可能か


 まさに現代は神無き時代、父無き時代というわけで、混迷しているイメージが蔓延している。

 混迷とか混沌は単なる墓碑銘として墓場に置いておけば良いとして、そこに普遍性を見出していかねば、という難題が待っている。

 普遍性は、結局「神」あるいは神の代替としての「神の名」、あるいは神の欠如
示すシニフィアン、あるいはシニフィアンの欠如したシニフィアンを利用するしかない。

 神の名は父の名で、父の名は他者を代替するという、恐るべき論理的飛躍によってオレたちは普遍に到達する。

 一神教的構造はいくら脱構築されようが、ズタズタに破壊されようが、残滓として腐敗しながら、深海の底に屹立している。

 あるいは、屹立している・・・という夢を見る。





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