知的に理解する
例えばラカンを知的に理解しようとすれば、必ず抜け落ちるものがある。
というか、抜け落ちるモノの方が多い。
ラカンのみならず、これは一般的に言えることだ。
知的に理解した(つもりになった)後での、実践、現実への対応、政治との向き合い方を考えるときは、その抜け落ちたものを如何にして拾うか、という作業が必要になる。
政治的知
政治は難しい。
なぜなら、政治的な知は、政治的な行動と一貫しているように振舞うからだ。
知は、反省的に行動へと反映されなければならない。
なぜならば独断的な知に依拠すれば、独断的に行動するしか術がないからだ。
言うまでもないが、平和とは、独断的知や独断的行動を避けることだ。
そして、精神分析や脱構築は、知と行動が断裂していることを示している。
それは、欠点かもしれないが、しかし、オレたちの有効な基準だと思う。