精神分析の存在論 その4
最後に主体の亀裂、裂け目としての「現実界」を考えてみよう。
これが精神分析の存在論的な、不思議な世界となる。
メイヤスーに、本筋としてこの考えはない(師匠のバディウにはある)。
カントは潜在的にこう考えているはずだが、ロジックとしてはさほど表面化していない(ただし見え隠れしている)。
ガブリエルは、こういう思考にも柔軟に対応できている(逆に言うと「存在そのもの」に対する厳密な定義を避けているところがある)。
精神分析の存在論 その3
次に「物自体」そのものを考える。
メイヤスーにとっては、極論すると「物自体」は物質界の下位概念だという認識だろう。
カントは「物自体」を人智を超えた(=叡智的な)ものとして捉えている。
ガブリエルの考えはカントに近い、というかただのドイツ観念論だ。