オレたちのヘーゲル
オレたちが、まるで現代思想の誰かの著作を読んでいるように、ヘーゲルを読んでいるという事実を蔑ろにしてはいけないだろう。
むしろ、そういう現代思想の状況こそが非常に危うい。
だからといってその解決策は、思想界にはない。
主と奴の弁証法と嘘つきのパラドクス
主と奴の弁証法が、主人と奴隷の「逆転」する過程を語っているとするならば、それよりも、もっとふさわしい表現がある。
それは「私はいま、ウソをついている」という、パラドクスだ。
語り手としての「私」はウソをついているのかいないのか、この表現では判定がつかない。
というか、思考するたびに「逆転」が繰り返される。
こういう思考の方が、主と奴の逆転を語るには、ふさわしい。
残念ながらヘーゲルの『精神現象学』の文脈では、このようなパラドクスを意図していない。