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ジジェクの翻訳の問題


 ジジェクの翻訳を読む際に、個人的にはまったく気にしていなかったが、「翻訳が悪い」という人がときどきいるのに驚く。

 翻訳ではなく前厄や後厄の話ではないのか、というのは単なる冗談です。

 いやそんなことないんだけど・・・と思うんだが、そういう読者の気持ちを考えるに、翻訳者がラカンや精神分析の専門的な用語に慣れていないと変な訳になる、というのはわかる気がする。

 オレは精神分析関連の訳本をそれなりに読んでいたので、そこそこ専門用語を理解しているし、その多彩な翻訳の幅にも慣れているので、ジジェクの大抵の訳本にも違和感を感じないのかもしれない。

 しかしこれは日本語しか読めない人の弱点なわけで、少なくとも英訳を読めば、多少なりとも理解できるはずだ。






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「連帯」とは何か [メモ]


 メモ。

 イデオロギーと政治におけるヘゲモニー抗争とは、以上のように、つねに「それは政治と関わり合いをもたない」とか「すでに政治の守備範囲を超えてしまっている」などと、「気にもとめられず」流通している物言いが具体的に指している意味内容の占有をめぐる争いだ。こう考えてみれば、旧東欧諸国のなかでもっとも強大だった反体制勢力の名が「連帯」だったという事実は、別段驚くに当たらないだろう。それこそまさに--このように呼べるものがあったとして--社会という存在の見果てぬ充溢を指すシニフィアンだった。その状況はあたかも、ほんの数年のうちに、ラクラウが同一視の論理と呼んでいる事柄が、極限まで先鋭して現れ出たようだった。すなわち、「現政権の座にある共産党員ども」という言表は、社会をめちゃくちゃにするもの、そして腐敗と堕落のまさしく権化として機能し、多種多様な立場の人々を対抗勢力として、現政権に愛想を尽かした「実直な共産員たち」までも取り込みながら、まるで魔法をかけたようにひとつの場に凝集していった。「現政権の座にある共産党員ども」を指さして、頑迷なナショナリストたちは「ポーランドのあらゆる権益を、ソヴェート連邦という御主人様に売り渡した裏切り者」として非難し、自分のビジネスしか頭にない輩たちは、資本主義原理に従った拘束なき営利活動の障害と考え、カトリック教会は、不埒な無神論者と憎み、農民たちは、自分たちの伝統的な生活様式を徹底的に壊滅させた近代化という暴力の源と忌み嫌った。さらに、アーティストや文化人たちにとっては、共産主義体制というコトバ自体、自分たちが日々耐え忍んできた表現の自由を抑圧するばかげた検閲制度と同義だったし、労働者たちは、共産党という官僚主義凝り固まった政治組織に自分が搾取されていると考えいたばかりではなく、さらに悪いことに、その搾取行為が自分たちを指すはずの労働者という名において、労働者のために為されていたと囁かれてきたことに屈辱すら感じていた。そして皆のしんがりには、体制を「真の社会主義」への裏切りととらえ、現状に失望しきっている年老いた左翼たちが控えていた。同じ思いを共有するどころかお互いに敵対し合ってもおかしくない立場をこえて集まった、現実には起こりえないはずの「政治的な」協力関係は、言うなれば、政治的なものと、いまだ政治ならざるものとを分かつ境界線そのものの上にはためくシニフィアンの旗のもとでのみ実現可能で、それゆえ「連帯」という言葉は、この任を担うものとしては非の打ちどころのない敵役だった。

(厄介 上 訳P317)



 めちゃオモシロい。

 左翼政権がこのような事実(もちろん誇張しているだろうが)を付随させていたことに笑ってしまう。

 しかもこれは続きを読めばわかるが、ポスト社会主義体制でもまったく同じことが起こるという歴史の皮肉に、再び笑い転げる、という仕組みになっている。






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