原抑圧
世界の闇夜を原抑圧と考えてよいものかどうか、オレは少し逡巡している。
「対自」と「自己意識」の二段階作戦なら世界の闇夜は二つ存在可能だが、単なる数合わせになってしまう。
世界の闇夜の二つ目はどこに登場するか
主体の欠如、これは恐らく象徴界の欠如だろう、主体の欠如が他者の欠如と通底しているのは、幻想の横断(走査)によって語られる。
しかし、他者の欠如を穴として、限界は超越に優先しないものとしての穴を考えなければならないときがある。
例えば、幻想を伴わない場合、オレたちはもはや症例(サントーム)とともに生きるしかない。
とはいえ、イメージを伴わない世界の闇夜は、ただの漆黒だ。
つまり、スターレス・アンド・バイブル・ブラック。
というわけで、オレたちはジェイミー・ミューア脱退直後のキング・クリムゾンを聴くしかない。