精神分析の知 その3
分析家は「知っていると想定された主体」を利用したうえで、それを裏切る。
まるで恋愛と破局の疑似体験だ。
なので、セミネールで何を語っているのかと、それがどういう効果をもっているのかはまったくの別問題だ。
というか、ラカンの語っている内容など、はっきり言ってどうでもいい。
その言説の効果がどうなっているか、の方が、その内容よりもはるかに精神分析的だから。
精神分析の知 その2
元「素人ラカン派」として言うならば、ラカンの「言説」からは、ラカンの分析手法は見えてこない。
ところがセミネール自体が、ラカン信者に対する分析的言説になっている可能性を否定できない。
分析的言説とは、要するに分析空間(分析時間とも言える、つまり短時間セッションとしての区切り)を通して無意識的なものを醸成することだ。
分析家と被分析者の間に、空間と裂け目を登場させること、それが分析空間(時間)だ。