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理性をもつ機械 [メモ]


 メモ。

 ところがラカンは、前例にない身振りでもって、まったく正反対の主張をする。フロイトの無意識は、構造上必要かつ還元できないその背景(つまり、すでに巻き込まれている主体としてのわれわれが、はめ込まれている生活背景)の不透明さとは全く関係がないという。むしろ無意識とは、主体の生活世界が要求するものに関係なく行くべき方向に従うといった、肉体は持たないが理性をもつ機械だ。無意識が理性ある主体の代わりとなるのは、それがもともと「ずれて」いる場合、つまり無意識がコンテクスト化された状況と一致しない場合で、いうなれば、無意識とは主体の根本的な足場を「世界内存在」以外の何かにしてしまう、亀裂だ。

(厄介 上 訳P106)


 ラカンを出しにしたハイデガー批判だが、意図として、ハイデガーの先にデリダやドゥルーズを見据えているのかもしれない。

 ただし、デリダもドゥルーズも(内実はともかくとしてその構造は)ハイデガーほど単純ではない。

 というか、ハイデガーを単純だと思わせてしまうフランス思想の「複雑怪奇」な構造を感じるのはオレだけではあるまい。







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デカルト的主体の過剰 [メモ]


 メモ。

 カントの「悪魔的な悪」、ヘーゲルの「世界の闇夜」・・・。

(厄介 上 訳P105)


 もう一つ言うなら、シェリングの、世代論第二草稿の「狂気」。





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