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主と奴の弁証法と嘘つきのパラドクス


 主と奴の弁証法が、主人と奴隷の「逆転」する過程を語っているとするならば、それよりも、もっとふさわしい表現がある。

 それは「私はいま、ウソをついている」という、パラドクスだ。

 語り手としての「私」はウソをついているのかいないのか、この表現では判定がつかない。

 というか、思考するたびに「逆転」が繰り返される。

 こういう思考の方が、主と奴の逆転を語るには、ふさわしい。

 残念ながらヘーゲルの『精神現象学』の文脈では、このようなパラドクスを意図していない。






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