崇高の図式化 [メモ]
メモ。
・・・カントは、崇高とはまさしく「理性の理念」そのものを図式化する試みだ、と想定している。つまり、崇高がわれわれに突きつけてくるのは、想像力が機能しないこと、永久にかつアプリオリにし想像が起こらないままの状態だ、ということだ--そして、この点でこそ、われわれは否定という虚無の状態の主体と遭遇する。ようするにハイデガーが主体性という過剰な次元とそこに内在する狂気について発言できないのは、図式化論の分析を超越論の分析に限定してしまっているからだ。
(厄介 上 訳P104)
カントの受け身の暴力 [メモ]
メモ。
われわれにとっての問題とは、主体のあり方の根拠になっている身振りをどのように想定すべきかということで、これは「受け身の暴力」、すなわち(想像力=構成力にはまだいたらない)抽象化という否定の行為で、「世界の闇夜」へと自己に引きこもることを意味する。この「抽象化」というのは、存在論的なジンテーゼによって、現実を構成する超越論的想像力=構成力によって隠蔽された深淵のことだ。--そのようなのとして、超越論的「自発性」が不可思議にも現れる瞬間が「抽象化」だ。
(厄介 上 訳P104)