自由 その2
人としての成立時に何が起こっているかは、ヘーゲルとシェリングを読めばいい。
デカルトやカントが仄めかしていたことを、ヘーゲルとシェリングが後世に残しているから。
そこに、ヘルダーリンが関与していると考えるのは楽しいが、おそらく事態は逆だろう。
自由 その1
元「素人ラカン派」の「唯狂論者」として告白するが、唯狂論の「教義」は未だ完成されていない。
というか、永遠に完成しない。
完成することなど教義(つーか、よく考えると教義など存在しない)には一言も書かれていない。
それでもその断片をここに記しておこう。
享楽・・・それは自由のようなものだ。
動物的本性とは関係ない、
人間としてもたらされるものだ。
人間は、過度な法(=超自我)と、過度な快(=享楽)を同時に持つ。
それは呪術的で自然に屈服する動物的本性とは相容れない。
そのような、人としての成立を忘れてはならない。