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アンコールの享楽の図


 あれは頂点と底辺のペア関係だろう、と気づいたのは、オレだけではあるまい

 ジジェクの説明でもつじつまが合わないので、そう気づいた。

 現実界からはみ出した享楽を中央に置いて、無意識の主体は三界をぐるぐると徘徊する。

 ぐるぐる回るうちに主体はバターになってしまうんだが(おいおい)、そのバターはいつの間にか凝固し、頂点と反対側の底辺に、関連する記号(「現実界 → 他者の欠如という真理」、「象徴界 → ファルスのシニフィアン=象徴的現実性を付与するもの」、「想像界 → 見せかけとしての対象a」)へと変化する。

 享楽に振り回される主体と、その効果により、享楽の周囲に残された三界の落とし物、「シニフィアンの欠如」や「欠如のシニフィアン」から派生する落し物、まさにラカン的な無意識世界の主人公たちが、そこにいることを示している。

 なお、空間的に言えば、享楽の場所はまさに「真の穴」と呼ぶべきだろうが(見た目は「袋の中」のようだ)、真の穴(の周囲)を取り囲むのは「文字」(「文字a」)なので、この図とはまた別の話(多分サントームの話)になる(念のために追記しておけば、精神分析では「真の穴」を重視しない)。

 ただ、このような図の説明、解釈にどれだけの価値があるのか、よくわからない。
アンコール図.jpg





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ジジェクの不足


 晩期ラカンを語るには、ジジェクは不足している。

 ・・・つまり、晩期のラカンは、政治的(革命的)主体を語るにふさわしくないことを意味している。






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