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ジジェク的なガブリエル [メモ]


 メモ。

 自我は自己対象化によって、自らが作り出し規定された世界秩序の一部になってしまうか、あるいは、自己の客観性の永続する否定に避難場所を見出そうとすることで、いっさいの規定性を--無規定だという規定性さえも--失ってしまうかのどちらかでしかありえない。

 自我が両義的なままのは、それが決して主張されることができないためだ。絶対者をなんらかの安定した原理として把握できるという根深い信仰は、根絶されなくてはならない。そして、その代わりに、我々は概念的媒介の脱構築を実践しなければならない。フィヒテはそれを「概念の破壊(概念の無化)」と呼んだ。こうした(原則的に完遂不可能な)実践は終わりのない先延ばしというポストモダン状況を予期するものだ。結果として、絶対者は先延ばしの行為となる。フィヒテの要点は、絶対者(自体)の把握可能性を根絶することではなく、むしろ、絶対者は先延ばしそのものだという鋭い洞察だ。概念的相対性を媒介にした絶対者の歪曲が絶対者そのものだ。

(『神話・狂気・哄笑』 訳P53)






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カントの狂気 [メモ]


 メモ。

 カント以前の世界において、人間は単に動物的な欲や神的な狂気という過剰と戦う人間、理性的存在者だったのに対して、カントとドイツ観念論以降、戦いが挑まれるべき過剰はまったくもって内在的なものになり、主体性そのものの核心をなすものになった(だからこそ、自身を取り囲む闇と戦う「理性の光」という啓蒙主義的な概念とは対照的に、ドイツ観念論では主体性の核心を表すメタファーが「夜」や「世界の夜」となった)。

(『神話・狂気・哄笑』 訳P305)

 いつものジジェクの強引な我田引水なんだが、オモシロいからこれでいい。






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