政治的主体
ジジェクは以前からつねにいつもいつまでも政治的主体を念頭に置いている。
だから、ラジカルで断裂的(超越的)な表現や例が出てくると、そこに敏感に反応する。
逆に、最晩期ラカンのような、「サントーム=父の名(複数)」による、かろうじて「繋ぎ止め」とともに生きるという、単調な事例は、政治的主体との相性が悪い。
・・・というか、デリダとの相性が良いような気がするのはオレだけか。
併読
春木奈美子『現実的なものの歓待』、ジジェク『脆弱なる絶対』、ラカン『アンコール』を同時に読んでいる。
同時に読むということは、たがいに関連するところを探して拾いながら読むわけで、苦労の割には効果が少ない。
つまりは苦行だ。
とはいえ、そうでもしなければ『アンコール』を読む気にならない、という事情もあるので、断片的かつ断続的に続けてみよう。