心の哲学とロボット
心の哲学でオモシロいのは、ロボットに感情はあるのか、心はあるのか、魂はあるのか、といった問いに対して応えられるか否か、という問題だ。
これはSFでは古くからある問題で、映画『2001年』では人間から矛盾した命令を受けたAIのハルが暴走し、怒りや悲しみという感情を持ったような「表現」を見せる。
あるいは映画『ブレードランナー』のように、一部のアンドロイドが感情を持って人間に反乱を企てる、という物語もある。
ナウシカの王蟲が怒りで赤くなって暴走するのも似たような意味がある。
果たして身近にそのような「現象」が見出せないような現状では、切実な問題ではなく、果たして現代的な問題として捉えるべきなのかどうか分からない。
この問題はおそらく未来を先取りした「問い」で、未来に何らかのアンドロイドに関する「常識」さらには「倫理」・・・具体的には「法」だろうが、その基礎になるもの・・・が確立しない限り答えようがない。
たとえば将来的にアンドロイドの問題は、人種差別問題とか性差別問題、あるいは動物虐待問題のようなものと同じレベルの扱いをするべきなのかどうか、という選択を迫られるものだと思う。
つまり現段階では思考しても無意味で、無意味だからこそオモシロい、という話になっているのではないか。
したがって、オレはアンドロイド問題にかんしてはヴィトゲンシュタインと同様に、途中で引き下がる。
ソシエダ戦 [サッカー]
12/16バルサ対ソシエダ戦。
コロナの影響でゲーム消化数がチームによって違う状況とはいえ、暫定で首位ソシエダ戦。
バルサにとって、実に画期的な試合だった。
たぶん、テン・ハフのアヤックスの戦術をバルサに応用できた最初の試合だと思うし、クーマンがやりたいサッカーの重要な一つのサンプルになるだろう。
つまり、ポゼッションは大事だが、それがすべてではなく、守備のときはマンツー気味に当てはめていく。
グアルディオラ的でもなく、リバプールやバイエルンとは違う、しかし、新しくもない戦術をバルサは、自分たちのものにしようとしている。
この試合では、中盤の3人に加えて、トップから下がったメッシの4人でゲームメイクしていた。
デ・ヨングは、攻撃のときはインテリオールで、守備のときはドブレ・ピボーテの一人というのも、なんとなくクーマンの強い意志が感じられる。
とすると、ブレイスワイトやペドリ、そして何よりグリーズマンが(守備を含めて)躍動する戦術になっているのがオモシロい。
このやり方だとデンベレはオプションにすぎない。
コウチーニョは必要だと思うが、ペドリがここまでできれば、財政的なことを加味すると、コウチーニョを売ってもいいかもしれない・・・いやーこの辺りの判断は非常に難しい。
ただ、来季メッシがいなくなるという前提なら、よほどの補強がない限り、コウチーニョとデンベレは必要だ
たぶん劣えの見え隠れするブスケツの、カンテラの後継者はアレニャーくらいしかいないので、そこはデ・ヨング、ピャニッチ、ペドリでなんとかするしかない。
ペドリが中盤に収まるのなら、トップのどこかでリキプッチを使ってほしいような気がする。
近い将来アンス・ファティが復活するなら、コウチーニョはペドリの控えという扱いになりかねないので、守備も攻撃も高いレベルでこなすコウチーニョを放置するのはもったいない。