一元論の弊害
欠如一元論には弊害がある。
あるいは暴力を語る際に、人間は暴力をふるうのが本質の動物だ、という暴力一元論にも弊害がある。
欠如や暴力のそばには、つねに「生きている」という事実がある。
とするならば、原理論を考える際に、それらを分離することに意味はない。
そう考えるなら、まだしも「去勢を超越論的シニフィエと規定する」方が生産的だ。
しかし、もちろんその生産的な規定は、すべてではない。
暴力の起源
例えば自分の子に暴力をふるう親がいたとする。
その親はなぜ子に暴力をふるうのか。
まず最初に欠如があってそれを埋めるために・・・なのか。
その親は、自分の親に暴力を振るわれてきたから、というのが理由だとすると、ではその親の親はなぜ・・・という疑問を考える。
おそらく、「自分が生きるために」暴力をふるう、という理由をオレたちは探究しなければならない。
つまり、理由なき理由を認めることは、信頼すべき態度ではない、ということになる。