ジョゼフK
久しぶりに Josef K を聴いた。
スコットランドのバンドでデビューアルバムは1981だったと思うが、82年には解散している。
いわゆるポストパンクでネオアコでクールなリフとヴォーカルで、いまなら「いやこれは間違いなく時代の音ですね」と呟いてしまいそうなカッコイイ音たち。
「時代の音」という表現すら、その時代の特徴だ・・・つまり81年とはそういう時代だった。
オレたちはそれがカッコいいのは当たり前だと思っていた。
金の匂いのする商業主義とも芸術家気取りのマスターベーションとも違うし、初期衝動だけの単調な音楽とも違うし、これこそがオレたちの音だと思っていた。
ザ・スミスが売れてきたあたりから、「もう飽き飽きだ」と思ってこの路線から離れたんだが(代わりにモーターヘッドへ向かった←笑)、オレの感性の問題でザ・スミスに罪はない。
あと、アズテック・カメラが嫌いだったというのは内緒だ。
カント対デリダ [メモ]
メモ。
カントの図式に従うなら、時間に縛られた派生的直観にとって黙示は完全な破壊に等しいものと映るだろうが、しかし根源的直観にとって、それは破壊不可能な物自体を明るみに出す。それに対し、デリダは何ものも免れることのない絶対的な破壊可能性について考えようとしている。デリダが指摘するように、カントにおける派生的直観と根源的直観との批判的な対置は「あるラディカルな有限性を締め出す。すなわちそうした対置の基盤を無に帰し、批判哲学の境界=限界そのものを思考することを可能にする、それほどまでのラディカルな有限性を。この批判哲学のリミットが告知されるのは、アウトスautosそのもののあますところなき自己破壊の「底なし」においてだ」。
(無神論p92)