CDが売れない時代
CDが売れなくなり、配信の時代になって流通がカットされ、アーティスト側はライブとグッズで稼ぐのが主流になるのかと思っていたら、コロナ渦でそれもダメになり、業界自体が沈殿している。
メジャーレーベルの有名アーティストたちだけが生き残りやすい時代になって、つまりポストパンクの時とはまったく逆のケースになって、果たして音楽業界はどうなっていくのか。
業界を真に活性化させるはずの「最先端」、「異端」や「過渡期」がPOSシステムにより排除される構造に問題があるのではないか。
それを考えるヒントが70年代後半から80年代初頭の音にあるのではないか。
とは言いつつも知恵がない。
とりあえず、新人たちは、先行投資の意味で、まずは地道に無料配信を続けていくしかないのかもしれない。
ドゥルッティ・コラム
特にどうということもなく、ドゥルッティ・コラムの1stを聴く。
昔よく聴いていて、今もときどき聴く。
音楽とはそういうものだ。
一応ジャンル的な位置づけを考えると、時代的背景が大きいような気がする。
イーノやホルガーチューカイがいて、そういう手法(肉体派とは異なるサウンド作り)の影響をポストパンクの流れの中からオルタナとしてジャンルを形成する。
次にイギリスでレゲエが流行ってダブの手法が知られ始め、デニス・ボーヴェルなどのように、ポストパンクの一部へ強い影響を与えたりする。
あるいはフライング・リザーズのサマータイムブルーズ(78)が、宅録のアーティストたちを力づけたことだろう。
そういう中で、きわめて私的な作り込みによるギター・アルバムが登場するのは、決して不可解ではない。
音の美しさとか静けさとか当時としては新鮮だったかもしれないが、個人的なツボはそこではなく、パンク以降の音造りのあり方、あるいはレーベルのあり方が変更している時代にこそ出来上がる音に興味があった。