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心の哲学とロボット


 心の哲学でオモシロいのは、ロボットに感情はあるのか、心はあるのか、魂はあるのか、といった問いに対して応えられるか否か、という問題だ。

 これはSFでは古くからある問題で、映画『2001年』では人間から矛盾した命令を受けたAIのハルが暴走し、怒りや悲しみという感情を持ったような「表現」を見せる。

 あるいは映画『ブレードランナー』のように、一部のアンドロイドが感情を持って人間に反乱を企てる、という物語もある。

 ナウシカの王蟲が怒りで赤くなって暴走するのも似たような意味がある。

 果たして身近にそのような「現象」が見出せないような現状では、切実な問題ではなく、果たして現代的な問題として捉えるべきなのかどうか分からない。

 この問題はおそらく未来を先取りした「問い」で、未来に何らかのアンドロイドに関する「常識」さらには「倫理」・・・具体的には「法」だろうが、その基礎になるもの・・・が確立しない限り答えようがない。

 たとえば将来的にアンドロイドの問題は、人種差別問題とか性差別問題、あるいは動物虐待問題のようなものと同じレベルの扱いをするべきなのかどうか、という選択を迫られるものだと思う。

 つまり現段階では思考しても無意味で、無意味だからこそオモシロい、という話になっているのではないか。

 したがって、オレはアンドロイド問題にかんしてはヴィトゲンシュタインと同様に、途中で引き下がる。





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