SSブログ

CDが売れない時代


 CDが売れなくなり、配信の時代になって流通がカットされ、アーティスト側はライブとグッズで稼ぐのが主流になるのかと思っていたら、コロナ渦でそれもダメになり、業界自体が沈殿している。

 メジャーレーベルの有名アーティストたちだけが生き残りやすい時代になって、つまりポストパンクの時とはまったく逆のケースになって、果たして音楽業界はどうなっていくのか。

 業界を真に活性化させるはずの「最先端」、「異端」や「過渡期」がPOSシステムにより排除される構造に問題があるのではないか。

 それを考えるヒントが70年代後半から80年代初頭の音にあるのではないか。

 とは言いつつも知恵がない。

 とりあえず、新人たちは、先行投資の意味で、まずは地道に無料配信を続けていくしかないのかもしれない。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ドゥルッティ・コラム


 特にどうということもなく、ドゥルッティ・コラムの1stを聴く。

 昔よく聴いていて、今もときどき聴く。

 音楽とはそういうものだ。

 一応ジャンル的な位置づけを考えると、時代的背景が大きいような気がする。

 イーノやホルガーチューカイがいて、そういう手法(肉体派とは異なるサウンド作り)の影響をポストパンクの流れの中からオルタナとしてジャンルを形成する。

 次にイギリスでレゲエが流行ってダブの手法が知られ始め、デニス・ボーヴェルなどのように、ポストパンクの一部へ強い影響を与えたりする。

 あるいはフライング・リザーズのサマータイムブルーズ(78)が、宅録のアーティストたちを力づけたことだろう。

 そういう中で、きわめて私的な作り込みによるギター・アルバムが登場するのは、決して不可解ではない。

 音の美しさとか静けさとか当時としては新鮮だったかもしれないが、個人的なツボはそこではなく、パンク以降の音造りのあり方、あるいはレーベルのあり方が変更している時代にこそ出来上がる音に興味があった。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

思想・思想・思想


 オレたちは、きっとその先に行くべきだ。

 「厭世的」ではなく、世間が壊れているものとして。

 だが、それは生きるための所与の条件だ。

 だからオレたちは、死ぬべき存在として、今を徹底的に生きようとする。

 神学にも、否定神学にも頼らずに。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ガブリエル批判


 マルクス・ガブリエルは複雑だ。

 ドイツ観念論的な展開を経たうえで、やはり「厭世的な現在への感覚」を所与とし、その乗り越えを無神論的な「神学」として実現しようとしている。

 彼を批判するなら、「厭世的」と「無神論的な神学」という、所与と展開の方向性か。






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

メイヤスー批判


 メイヤスーへの批判はそれほど難しくない。

 彼の無神論・・・つまり神への抵抗は、数学や物理学に置き換えられる。

 人間なき時代を「どのように意味づけるのか」、それは無意味だという主張。

 あるいは人間存在を、「さほど意味あるものとは思えない」という主張。

 それらから、ある意味厭世的ゆえに、それを「存在として」乗り越える思想という位置付けになっている。

 こういうことを捉えていけば、批判は簡単だ。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ミレール


 今のオレにできそうなのはミレールをどう読み替えるか、だ。

 それなりに文献が揃ってきたので、やっとそれを考えられる。







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

サッカーが好きな理由


 なぜサッカーが好きなのかは分からない。

 フライングダッチマンが好きだったからかも。

 あるいはカール・ハインツ・ルンメニゲ。

 そして、マルコ・ファンバステン。

 敢えて言うならデニス・ベルカンプ。

 コクー、チャピというのは単なる個人的趣味のレベル。






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

諦めない


 オレたちは諦めない。

 しかし、それを主張しない。

 オレたちはいま生きる存在で、かつ将来死ぬ存在だ。

 だから、そこを根底として認める以外を、認めることはない。

 どうやって死ぬかを考えることは、少なくともオレの役割ではない。

 自分が死んだ後、どうあるべきかを、考えるかもしれないが。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

デリダを乗り越える方法


 オレはデリダを乗り越えるのは簡単だと思っていた。

 しかし、オレに必要なのはデリダと「ミレールの師」を同時に思考することだと気付いた。

 つい最近のことだ。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

存在の欠如


 存在の欠如を考えるのは、東浩紀を引用するまでもなく、否定神学の役割だ。

 なぜならば、デリダがそう考えていたからだ。






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

代々木セトリ


 ザイエローモンキー、2020年12月7日代々木第一体育館セットリスト。

01.LOVE IS ZOOPHILIA
02.セックスレスデス
03.TVのシンガー
04.創生児
05.クズ社会の赤いバラ
06.Breaking The Hide
07.This Is For You
08.街の灯
09.Neurotic Celebration
10.イエ・イエ・コスメティック・ラヴ
11.空の青と本当の気持ち
12.ALRIGHT
13.SPARK
14.バラ色の日々
15.SUCK OF LIFE
16.BURN
17.Horizon

(アンコール)
18.天道虫
19.LOVE LOVE SHOW
20.悲しきASIAN BOY
21.JAM









nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

起源の探究


 そもそも暴力の起源を辿る姿勢が正しいのかどうか、よくわからない。

 しかし、オレたちはいつも何かの起源を探している。






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

一元論の弊害


 欠如一元論には弊害がある。

 あるいは暴力を語る際に、人間は暴力をふるうのが本質の動物だ、という暴力一元論にも弊害がある。

 欠如や暴力のそばには、つねに「生きている」という事実がある。

 とするならば、原理論を考える際に、それらを分離することに意味はない。

 そう考えるなら、まだしも「去勢を超越論的シニフィエと規定する」方が生産的だ。

 しかし、もちろんその生産的な規定は、すべてではない。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

暴力の起源


 例えば自分の子に暴力をふるう親がいたとする。

 その親はなぜ子に暴力をふるうのか。

 まず最初に欠如があってそれを埋めるために・・・なのか。

 その親は、自分の親に暴力を振るわれてきたから、というのが理由だとすると、ではその親の親はなぜ・・・という疑問を考える。

 おそらく、「自分が生きるために」暴力をふるう、という理由をオレたちは探究しなければならない。

 つまり、理由なき理由を認めることは、信頼すべき態度ではない、ということになる。







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

精神分析の正しさ


 もし精神分析の正しさ、というのがあるとすれば、それは分析空間における有効性だ。

 それは理論的な根拠を必要としない。

 オレがドルトを支持するのはそういう意味もある。

 ただし再現性はないかも知れない。

 オレがミレールの師の治療理論に対して疑問を持つのは、逆転移を利用しないことだ。

 それは現場でのアドリヴとインプロヴィゼーションを認めないことを意味するからだ。







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ミレール対ジジェク


 これは、ジジェクやバディウの論文が、ミレールよりも世間への影響力が強いことから始まっている。

 ある種の嫉妬だ。

 ミレールがジジェクを罵倒するのは、師弟関係ではよくある話で別にどうでもいいことだが、この論争に関するならば・・・精神分析の実践的意義とは無関係に、哲学的にという意味だが・・・ジジェクに利がある。

 まず最初に欠如がある、空虚がある、穴がある。

 それを埋めようとする努力の痕跡が欲望で、欲動だ、というのが、ミレール派を含めた精神分析の主流な発想だ。

 しかしよく考えてみれば欠如や空虚や穴を感知するためには、ある程度の充溢が必要だ。

 というか、充溢と欠如を分離させて考えると、不都合な点がいろいろ出てくる。

 分かりやすくいうと、ニワトリが先かタマゴが先か、を永遠に議論する羽目になる。

 分離させて考えるなら「欠如化」「空虚化」「穴化」を可能にするのは何か、を考える必要がある。

 それが、例によって去勢だというのなら、「去勢が超越論的シニフィエだ」というデリダの主張(『ポジシオン』参照)が正しくなってしまう。







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

過去に読むべき本


 読まずに死ねるか、という本が一冊ある。

 これは是が非でも読まないといけないんだが、タイミングを逸してしまった。

 今すぐにではないが、絶版になる前に購入しておこう。







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

将来読むべき本


 絶対に読むべき本が一冊だけある。

 まずは、本国で出版されることを祈る。

 その上で、翻訳されることを祈る。

 というわけで、生きているうちに読めるだろうか。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

今読むべき本


 今読むべき本が2冊あって、そのうち一冊は進行形で読んでいる。

 もう一冊は購入済み。

 というわけで、珍しくブレない書籍購入をしている。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ラフトレードのクリアカット


 そういえば確か徳間独自企画で出したラフトレードの「クリアカット」のA面1曲目がJosef K だった。

 クリアカット収録曲(シングル Kind of funny → アルバム It's kinda funny)はポストカード・レコードというレーベルのシングル盤で、アルバム盤とはアレンジが違う。

 シングル盤はギターを抑えて当時流行っていた家内制手工業的なつくりで、アルバムのほうはもう少しロックな感じだ。

 アルバムの統一感という意味ではもちろんそれが正解で、シングルの戦略とは違うってのがまたオモシロイ。

 蛇足で書いておくと、「クリアカット」は、パンク以降出始めたインディーズレーベルの情報が日本に入ってこなかったときに、当時の良質なポストパンクの状況を典型的に示していたため、一部のロック・ファンにはありがたいポスト・パンク・サウンドのサンプルだった。

 だからどうだと言うことはない。

 それこそが「時代」の事実ってヤツだ。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ジョゼフK


 久しぶりに Josef K を聴いた。

 スコットランドのバンドでデビューアルバムは1981だったと思うが、82年には解散している。

 いわゆるポストパンクでネオアコでクールなリフとヴォーカルで、いまなら「いやこれは間違いなく時代の音ですね」と呟いてしまいそうなカッコイイ音たち。

 「時代の音」という表現すら、その時代の特徴だ・・・つまり81年とはそういう時代だった。

 オレたちはそれがカッコいいのは当たり前だと思っていた。

 金の匂いのする商業主義とも芸術家気取りのマスターベーションとも違うし、初期衝動だけの単調な音楽とも違うし、これこそがオレたちの音だと思っていた。

 ザ・スミスが売れてきたあたりから、「もう飽き飽きだ」と思ってこの路線から離れたんだが(代わりにモーターヘッドへ向かった←笑)、オレの感性の問題でザ・スミスに罪はない。

 あと、アズテック・カメラが嫌いだったというのは内緒だ。






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

カント対デリダ [メモ]


 メモ。

 カントの図式に従うなら、時間に縛られた派生的直観にとって黙示は完全な破壊に等しいものと映るだろうが、しかし根源的直観にとって、それは破壊不可能な物自体を明るみに出す。それに対し、デリダは何ものも免れることのない絶対的な破壊可能性について考えようとしている。デリダが指摘するように、カントにおける派生的直観と根源的直観との批判的な対置は「あるラディカルな有限性を締め出す。すなわちそうした対置の基盤を無に帰し、批判哲学の境界=限界そのものを思考することを可能にする、それほどまでのラディカルな有限性を。この批判哲学のリミットが告知されるのは、アウトスautosそのもののあますところなき自己破壊の「底なし」においてだ」。

(無神論p92)





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

レプリカント


 要するに原理上「不死」なはずのレプリカントの設定は、実は「可死」に縛られている。

 これはデッカードがレプリカントかもしれない、という発想とは逆の、レプリカントは人間とそう変わらないのではないか、という思考の方向性を示している。

 そもそも6型の寿命設定が「感情」を持たせないことだったとすれば、その違いを「内面的」に区別することは難しい。

 さらには繁殖能力も備えているということで、その難しさは加速する。






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ネクサス9型


 法律が変わって、別の会社で作られたのがネクサス9型。

 人間には絶対服従で、命令されれば自殺も厭わないという設定だ。

 これまた「可死」というテーマが継続している。






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ネクサス8型


 ネクサス8型は寿命設定なしで、人間社会に紛れてひっそりと生きている。

 ただし眼球にIDが仕込まれているので、判別しやすい。

 ある意味不死だが、レプリカント禁止法の下では廃棄の対象だし、逃亡すれば殺害の対象となる。

 つまり、この設定でも「可死」がテーマとなっているのに注意しよう。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ネクサス7型


 レイチェルは「N7」なのでネクサス7型だという説がある。

 少なくとも短寿命設定のネクサス6型とは違う。

 とするとデッカードも同じネクサス7型の可能性がある。

 また、8型の試作品という考え方もある。

 さらに言うと、デッカードが人間かレプリカントかという議論は尽きないので、個人的にはどうでもいいんだが、どちらの可能性も否定できないということだけは理解している。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ネクサス6型


 ネクサス6型の寿命は4年と設定されている。

 おそらく「感情」を持たないようにという「配慮」から、そういう設定にしたのではないか、という説がある。

 この寿命設定は、しかし人間における時間や空間の有限性を考慮する際に、モデルとして役に立つだろう。

 つまり、設定としての無限は、生の設定として考慮されないことを如実に表している。

 この話をさらに拡大していくと、単純に無神論へと行きつく。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ヘッドホン


 突然ヘッドホンの話。

 ウルトラゾーンとGRADOでは全然違う世界となる。

 これはどちらがいいとかいう話ではなく、どちらが好きかということだ。

 それくらいどちらも優秀だ。

 ウルトラゾーンは音の空間が広い、その代わりやや客観的な音造りをする。

 GRADOは音がドンドン前に出てきて、イヤースピーカーのイメージだ。

 時々聴き比べて、どちらもすげーなーと感心する。







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

自己免疫と正義 [メモ]


 メモ。

 法と正義のあいだのこのような関係は自己免疫的な関係として理解するのが有効だ。法体系は正義を守る免疫的防御として機能する。それは何が正義かについての諸原理を保持し、政体にとって有害とみなされるものの同定を可能としている。そのような法体系抜きには、正義を規定し保護しうるようなものは何もないだろう。所与の決定を評価するためのいかなる規則も存在しないことになるのだから。しかし同時に、正義に適う決定は自らを守る法を宙吊りにし、攻撃しなければならない。なぜならそのような決定は、法を問いに付し規則を変形しかねない出来事に対してなされるものだからだ。したがってここまで引用してきた正義にかんする論考(「法の力」)においてデリダはねたとえ執筆当時においてはいまだ「自己免疫性」という述語が彼の語彙のなかに登場していなかったとしても、正義の自己免疫性を記述しているとみなすことができる。

(無神論P82)





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

正義とは何か [メモ]


 メモ。

 デリダが正義と呼ぶのは、有限な諸決定をなすことの--つまり計算不可能な時間の到来にさいして計算をおこなうことの--こうした必要性だ。彼が述べているように、正義は計算不可能な時間性を必要とし、そこにおいて「正義に適うものかそれとも正義に適わないものかの決定に規則は何の保証も与えることはできない」。このことは逆説的に見える。なぜならそれが意味しているのは、何が正義で何が不正かにかんするいかなる保証もなくただその場で決定が行われるしかない困難な状況こそ、正義にほかならない、ということだからだ。しかしデリダが強調するのはまさしく、このような条件だ。

(無神論P80)




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感