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福田恆存


 福田恆存の『論争のすすめ』に書いてある「ディアレクティック」は、同じ「ディアレクティケー」だが、「弁証法」のことではなくソクラテスやプラトンの「問答法」と考えるのが自然だ。

 福田恆存が引用したアリストテレスは、そういった言語的な技術より科学の方が上だと考えていた、という主旨になる(たぶん福田センセがそう強調したくて引用したものと推測する)。




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ソクラテス


 柄谷センセも言っているんだが、ソクラテスの「ディアレクティケー」は、後期プラトンの「ディアレクティケー」と対立している、という説がある。





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柄谷行人


 柄谷行人の『哲学の起源』が岩波現代文庫になってベストセラーになっているらしい。

 ご存知の方はご存知のように柄谷センセは哲学者ではない。

 あくまでも批評家だ。

 なぜかというと、証拠のないことを哲学者は書けないからだ。

 いや柄谷センセの悪口を言っているのではなく、豊かな創造性と感受性をもって(哲学者には書けないような)哲学の本質を突くというのは素晴らしいことだと素直に思う。

 とはいえ、だから柄谷センセの書くことには、やや眉に唾をつけて読むという姿勢も必要だ。





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引用元の検索


 昔、以下の文を引用したが、引用元が自分でも分からなくなった。

(引用開始)
 おおざっぱに言うと、アリストテレスは、レトリック(修辞学)を「論敵や聴衆を説得するために言葉を組み立てる方法」と解していて、一方、ディアレクティック(弁証法)の方はそういう目的なしに「純粋に真理を発見するために言葉を組み立てる方法」と解していた。しかも、彼はその両者を、事物の完全な証明、いわば科学的な実証と峻別している。後者(科学的な実証)は前提に自明の真がなければならない。それがあればこそ、その結論も同様に真となる。が、前者(修辞学と弁証法)はいずれも「蓋然性のロジック」で、その前提には「そう考えられること」があり、したがってそこから引き出される結論も同じく「そう考えられること」でしかない。
(引用終わり)


 で、調べてみると・・・こういう検索の場合、ネットはほぼ無力なので、自分の本棚を漁るしかない・・・福田恆存『論争のすすめ』(「中央公論」昭和36年3月号)だった。

 引用元の原文は旧仮名遣いで、そちらの方か風情があって興味深い。






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多元言語論 その5


 デネットが有利なのは、物理姿勢、設計姿勢、志向姿勢という見事な3分法で説明したからだ。

 正しいかどうかは知らないが、説得力はある。

 この3分法が言語由来によるものだと無理やり説明すれば、なんとなくデネットに勝てるような気がする。


 勝ち負けなど、どうでもいいんだが。






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多元言語論 その4


 デネットに勝とうとするならば、多元言語解釈主義を主張してしまえばいい。

 要するに意識が多元的なのは言語の影響なんだよ、と。

 それでもたぶん勝てないが。






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多元言語論 その3


 あとは言語の「全体論的性格」を加味していくと、アチコチをダラダラと統一的に説明できる理論になりそうな気がしないでもないが、残念ながらデネットには勝てない。





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多元言語論 その2


 もちろん言語は世界のすべてを1対1対応で表現しているわけではない。

 ヴィトゲンシュタインが「探求」を著したのもそういう意図がある。





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多元言語論 その1


 心の哲学をいろいろ考えるのがメンドクサイのでヴィトゲンシュタインで全部説明しようとアレコレ考える時がある。

 要するに、日常的な言語(≒理由の空間の説明)と科学的な言語(≒因果の空間の説明)とは、少し言語の使用のレベルが違っているのではないか、と。

 さらに言語は多元的だということに加えて、人間生活を語る唯一の根拠と考えれば「多元言語一元論」というある種、語義矛盾の素晴らしい理論(案)が出来上がる。

 まー何となく唯狂論者としては、それでもいいかな、という気分になっているんだが、この理論にまったく根拠はない。





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リスク許容の量と質


 量というのは、たとえば資産の何パーセントを失っても前向きで投資に向かえるか、という問題。

 質というのは、たとえば、利益と税金の考え方のバランスをどうとるか、という問題だったり、あるいは、年に何回利益を取るのか、という問題だったり、利益を再投資するのかしないのか、という問題だったりする。

 人によって変わらない確率と、人によって変わる心理学のバランスによって投資方法の戦略が違う。






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正しい投資法


 どんな場合にでも通用する、正しい投資法など存在しない。
 
 状況に応じて変わってくる。





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投資方法の考え方


 そのときの状況によって考え方が変わってくる。

 臨機応変に対応しなければならないのは、人生の他の場面とまったく同じだ。

 考えるのがメンドクサくて、「固定化」するのであれば、投資方法も固定化しなければならない。





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年齢


 特にサラリーマンを例にとるとわかりやすいが、年齢によってリスク許容度が違う。

 定年退職金をもらう直前の、60歳前のオッサンが、リスクの高すぎる投資に興じていたら、それは違うと言ってあげたほうがいい。

 マネー教育というのは重要だ。




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リスク管理


 投資方法によってリスク管理が全然違ってくる。

 いや、言い方を変えよう。

 投資方法によってリスクが全然違う。

 なので、リスク許容度によって投資方法が変わってくるし、投資方法によって、リスクマネジメントが違ってくるし、そもそも、マネーマネジメントが変わってくる。

 なのに、「ブレない」と称して同じような態度で投資に臨むのは間違っている。





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分散投資


 分散投資とか何とか言ってるけど、要するにリスク許容度とリスク管理がどれだけできるか、というだけのことなので、そこに「一般性」はない。

 個人の資質があるだけだ。

 そもそもギャンブルに成功するのはごくわずかで、そのごくわずかの層に加わろうという努力の方法さえよくわかっていない。

 とするならば、オレたちに残されているのは確率論とマネジメント論だけだ。





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言語ゲーム一元論


 最後にやってくるのはヴィトゲンシュタインだったりする。

 結局ラスボスが全部持っていくのか、という嘆きはあるにせよ、それも致し方あるまい。

 とはいえ、ヴィトゲンシュタイン以降の思考をヴィトゲンシュタインがどうとらえて、どのように自らの思考を発展させていくのか・・・ということを想像するのは難しい。

 言語ゲーム一元論・・・厳密に言うと「言語ゲーム間ゲームの一元論」(野矢茂樹『哲学航海日誌』を若干参考にしました)・・・によって、考えるべきだ、ということになるのかもしれない。

 個人的には言語ゲームに食傷気味なので、しばらく機能主義で行きます。





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クオリア論


 いつも思うことだが、クオリアの話はなんとなく(直観的に)、内在的基礎付け主義の「センスデータ論」の話と似たところがある。

 この手の話では、感覚与件と(全体論的な)言語との関係を考えていく(セラーズのように)・・・というのが筋なのかも。





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機能主義


 オレの哲学的立場は「唯狂論」だ、ということになっているが、さらに心の哲学的には機能主義で心理的には唯名論で物理的には科学的実在論だ。

 なので、細かいところはともかくとして、何となく全体的な気分としてはデネットに近い。

 オレは行為の因果説には賛成しないが、しかし、心理的な意志や意図がきっかけ(というか原因)として、脳活動の変化が起こることはある、という考え方もする。

 要するに人間の心の柔軟性、しなやかさは独特で、それは人間の脳に独特なものかもしれない、と考える可能性を捨てていない。

 しかしながら他方、生物はDNAの乗り物に過ぎないという考え方も持っている。

 つまり、自由論と決定論が同居している。

 短期的には自由論だが長期的(例えば1,000年単位)には決定論的傾向がある、という立場にいると言うべきか。







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行為の因果説


 行為の因果説を主張するから、行きがかり上、非法則論的一元論を主張する羽目になった、と考えてはどうか。





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出来事実在論


 非法則的一元論は、実在論的に言うと、出来事のみが存在すると考える「出来事実在論」という立場になるのかもしれない。

 ただ、出来事には心的に表出される出来事もあるわけで、その場合は観念論的と捉えられる可能性もある。

 とはいえ、因果論的に言えば主はあくまでも物的な出来事なので、実在論的要素(というか、唯物論的要素)が強い理論となる。







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非法則的一元論に対する疑念の私的要因


 つまり、オレは心的出来事と物的現象を1対1の関係で見ようとしているから、非法則的一元論に抵抗がある。

 言い換えると、オレは、シンプルな物的現象(およびその組合わせ)とバリエーション豊富な心的出来事の関係づけをうまくできていないような気がする。

 そういう反省のもとに、またいろいろ考えてみよう。





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株の売り時 [株式投資]


 売り時も難しい。

 とはいえ、基本は売らない、としておけば大丈夫。





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株の買い時 [株式投資]


 買い時は難しい。

 とはいえ、その株の特徴をある程度つかんでいれば、大丈夫だと思う。






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居場所論


 ときどき「居場所論」を考える。

 これは学生時代に先輩が話していたんだが、要するに「自分の居場所がない」というのが人間の「所与」なので、オレたちは居場所を・・・例えばサークルだとか、あるいは家庭だとか、あるいは宗教施設だとか、・・・に依存せざるを得ないのではないか、という仮説だ。

 昔は地縁や血縁のしがらみがあったので、否応なくその中に巻き込まれていたが、核家族化によって血縁や地縁に依存する機会が減ったことが原因か。

 この仮説によると、自らの「外部」に「居場所」を見つけようという「意志」が大切だということになる。






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いつ買うのか その4 [株式投資]


 とはいえ一応買うタイミングを見計らったりする。

 ダマシの多い指標を使えば、機会も増える。

 要するに、指標は精神的に後押ししてくれれば良い。

 ただし、それで儲かるかどうかはまた別の問題だ。





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いつ買うのか その3 [株式投資]


 だからオレはシミュレーションをしなくなった。

 金のあるときに買える銘柄を買えばいい。

 そんな単純で大丈夫だという投資方法を確立させればいい。





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いつ買うのか その2 [株式投資]


 しかしながら大前提として、お金がない時には買えない。

 当たり前だ。

 ところがこれは非常に重要だ。

 なぜならばシステマティックな投資法を確認するときのシミュレーションをよ検証してみると、一日で莫大な金を動かす必要があったりするからだ。




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いつ買うのか その1 [株式投資]


 株式投資の話。

 銘柄が決まったとして、いつ買うのか。

 今でしょ。

 というわけにはいかず。

 そもそも銘柄選択の際に、今買えるものを選ぶのがコツかも。





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