クオリア論
いつも思うことだが、クオリアの話はなんとなく(直観的に)、内在的基礎付け主義の「センスデータ論」の話と似たところがある。
この手の話では、感覚与件と(全体論的な)言語との関係を考えていく(セラーズのように)・・・というのが筋なのかも。
機能主義
オレの哲学的立場は「唯狂論」だ、ということになっているが、さらに心の哲学的には機能主義で心理的には唯名論で物理的には科学的実在論だ。
なので、細かいところはともかくとして、何となく全体的な気分としてはデネットに近い。
オレは行為の因果説には賛成しないが、しかし、心理的な意志や意図がきっかけ(というか原因)として、脳活動の変化が起こることはある、という考え方もする。
要するに人間の心の柔軟性、しなやかさは独特で、それは人間の脳に独特なものかもしれない、と考える可能性を捨てていない。
しかしながら他方、生物はDNAの乗り物に過ぎないという考え方も持っている。
つまり、自由論と決定論が同居している。
短期的には自由論だが長期的(例えば1,000年単位)には決定論的傾向がある、という立場にいると言うべきか。