柄谷行人
柄谷行人の『哲学の起源』が岩波現代文庫になってベストセラーになっているらしい。
ご存知の方はご存知のように柄谷センセは哲学者ではない。
あくまでも批評家だ。
なぜかというと、証拠のないことを哲学者は書けないからだ。
いや柄谷センセの悪口を言っているのではなく、豊かな創造性と感受性をもって(哲学者には書けないような)哲学の本質を突くというのは素晴らしいことだと素直に思う。
とはいえ、だから柄谷センセの書くことには、やや眉に唾をつけて読むという姿勢も必要だ。
引用元の検索
昔、以下の文を引用したが、引用元が自分でも分からなくなった。
(引用開始)
おおざっぱに言うと、アリストテレスは、レトリック(修辞学)を「論敵や聴衆を説得するために言葉を組み立てる方法」と解していて、一方、ディアレクティック(弁証法)の方はそういう目的なしに「純粋に真理を発見するために言葉を組み立てる方法」と解していた。しかも、彼はその両者を、事物の完全な証明、いわば科学的な実証と峻別している。後者(科学的な実証)は前提に自明の真がなければならない。それがあればこそ、その結論も同様に真となる。が、前者(修辞学と弁証法)はいずれも「蓋然性のロジック」で、その前提には「そう考えられること」があり、したがってそこから引き出される結論も同じく「そう考えられること」でしかない。
(引用終わり)
で、調べてみると・・・こういう検索の場合、ネットはほぼ無力なので、自分の本棚を漁るしかない・・・福田恆存『論争のすすめ』(「中央公論」昭和36年3月号)だった。
引用元の原文は旧仮名遣いで、そちらの方か風情があって興味深い。