新日本
新日本プロレスの1.4が4万、1.5が3万人の目標設定で、何とか達成した模様。
NHKBSで社長のドキュメントを放送していた。
決算 [株式投資]
決算が悪くて株価が落ちるのはまあいいとして、それからどのように復活するのか、復活しやすいのかどうか、というのは、その銘柄による。
「株価は人気投票だ」という考え方が正しいとすると、下落局面で「安い」と感じさせるような有名銘柄のほうがリバウンドしやすいのではないか。
企業の収益状況次第というのはもちろんだが。
放置投資法 [株式投資]
株式投資の話。
現状は放置。
ほぼフルインベストメント状態で、身動き取れないというのもある。
銘柄別に大体の売り価格(当然売らない銘柄もある)を決めているので、そのときは動くだろう。
また、今後の動き方はだいたい決まっているので、放置して時を待つ状態。
フルインベストメントの動機 [株式投資]
たぶん高配当銘柄へ投資をするときは、フルインベストメントを意識することになると思う。
配当額の変化がない限り、株価の上下は関係なくなるから。
フルインベストメント [株式投資]
投資をしようとするとき、現金比率をよく考えなければならない。
考えずにドンドン突っ込んで現金比率が小さくなったら、フルインベストメントという。
バフェットはある程度の現金を確保して暴落に備えるべきだという主張をしているが、それはそれで一つの理屈だ。
インデックスに勝つ投資法 [株式投資]
もちろんアクティブではない。
インデックスの逆をやればいいだけ。
ただ、それで勝てるかどうかは神のみぞ知る。
ディキ・タカ
ティキ・タカは目的ではなく手段。
こんな基本的なことさえわかっていないのなら、サッカーを観るな。
・・・と言ってみるテスト。
適当な話
いろいろ適当なことを書いてしまった(哲学者的ではなく批評家的に書いたという意味)が、哲学史というのはいろいろな軸で考えることができるのでオモシロイ。
ガブリエル
新しい実在論の考え方でも、メイヤスーとは違い、「言語的なディアレクティケー」の側に存在論を打ち立てようというのがM・ガブリエルだ。
共著を書くほどだから、ジジェクの否定神学的弁証法と親和性が高く、それに後期シェリングの存在論を組み合わせたような展開になっている。
メイヤスー
メイヤスーの思弁的唯物論は、「数学≒科学」対「言語的なディアレクティケー」の図式で考えると、「数学≒科学」の側にいることがよくわかる。
この場合は「言語的なディアレクティケー」が相関主義というわけだ。
師匠のバディウは数学の集合論を軸として存在論を展開してしまうようなオッサンなので、弟子も多少影響を受けるのは仕方がない。
否定神学 その2
ジジェクはラカンの側にいるのだから、当然「否定神学」的だ。
で、否定神学的にヘーゲルの「ディアレクティケー」(弁証法)をとらえる。
つまり、イデオロギーによる(原初的)主体の排除がなければ、近代的主体も国家も、そして何よりもイデオロギーそのものが完成しない、という逆説的な弁証法によるロジックを展開し続ける。
否定神学 その1
否定神学は、東浩紀『存在論的、郵便的』の図式によると、デリダを立たせるためのラカンに対する悪口だ。
ただ、ソクラテスと後期プラトンの「ディアレクティケー」が対立していると考えるならば、ソクラテスは否定神学の側にいることになる。
心の哲学
ところが個人的には、プラトンやアリストテレスの「数学≒科学」対「言語的なディアレクティケー」という図式は非常に重要だ。
つまり、心の哲学のひとつのテーマ、科学的言説と日常的言説の対立を垣間見るからだ。
要するに21世紀になっても、哲学はソクラテスの時代からずっと同じことを巡って思考しているのではないか、ということになるのかも。
プラトン その2
『国家』の中では、数学とディアレクティケーは対立している。
数学は仮説を前提としてコツコツと組み立てていくイメージ。
ディアレクティケーは、仮説を次々とぶっ壊しながら本質=原理を追及していくイメージ。
たぶんプラトンの「数学」は、アリストテレスの「科学」と密接な関係にある。
とすると、福田センセのアリストテレスからの引用はやや、我田引水的なところがあるのかもしれない。
プラトン その1
プラトンの後期では、ディアレクティケーはイデア論と密接なつながりをもつようになる。
つまり問答法の先には、ものごとの本質=イデアがある、と。