ろんろん論理♪
ある人の言葉を引用しよう。敢えて引用元を明示するのは避けるが、わかる人にはわかる。つまり、わからない人にはわからない。
おおざっぱに言うと、アリストテレスは、レトリック(修辞学)を「論敵や聴衆を説得するために言葉を組み立てる方法」と解していて、一方、ディアレクティック(弁証法)の方はそういう目的なしに「純粋に真理を発見するために言葉を組み立てる方法」と解していた。しかも、彼はその両者を、事物の完全な証明、いわば科学的な実証と峻別している。後者(科学的な実証)は前提に自明の真がなければならない。それがあればこそ、その結論も同様に真となる。が、前者(修辞学と弁証法)はいずれも「蓋然性のロジック」で、その前提には「そう考えられること」があり、したがってそこから引き出される結論も同じく「そう考えられること」でしかない。
いやはや素晴らしい。この論理こそが「蓋然性のロジック」ということを筆者はよくわかっている。それでいてこういう書き方ができるのは、羨ましい。オレにはとても勇気がなくて、無理だ。
同じ人は言う、「真理は事実にあるのではなく、言葉にある」と。大いに同意する。
もちろん真理を追究するには、事実という対象に寄り添う努力を続けなければならない。そして、それを続けるほど、言葉の曖昧性脆弱性を知ることになる。だが、ある事実に見出される真理を、他の事実と比較検討しながら抽出するためには、言葉が大事となっていく。それができるのは言葉しかない。
なので、これからもそれでいきます。
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