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存在はなぜ哲学の問題となるのか


 存在を考えると、時代はモードになる。

 ・・・違うか。

 存在自体を考えるのは不可能だ。

 なので、周辺を巡る。

 手掛かりは、まず「主体」。

 もう一つは「身体」。

 さらに挙げるなら「言語」ということになるんだが、そうすると「存在はなぜ哲学の問題となるのか」の前に「言語はなぜ哲学の問題となるのか」を考えなければならなくなる。

 というわけで、言語に関わりたい人はまずイアン・ハッキングを読もう。




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意味はなぜ哲学の問題となるのか


 意味といえばフッサール、そしてフレーゲ。

 世の中には意味が溢れていると、オレたちに思わせ続けている哲学の巨人たちだ。

 ハイデガーもその系譜にあると考えれば、少しはわかりやすいかも。





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ホルガー・シューカイ [私的名盤]


 この話は私的名盤のカテゴリーかな。

 ホルガー・シューカイはカンのメンバーとして有名だった。

 最初に聴いたのは渋谷陽一のラジオ番組だったと思う。

 次に聴いたのはスネークマンショー。

 一言で言うならば、サウンド・コラージュみたいな前衛サウンドなんだが、音は快楽志向のため当時の発想ではダブとの親和性が高かった。

 実際ジャー・ウーブル(元Pil)とも仕事をしていてダブ寄りの音も作っている。

 というか、オレの中では「少し外れたダブ」として認識している。

 『ムービーズ』(1979)は傑作だった。

 短波放送からのイランの女性ヴォーカルを音源としてフューチャーした「ペルシアン・ラブ」は、CM(サントリー角瓶1979)でも使われた有名作で、スネークマンショー(1982)でも紹介された。

 聴いて気持ちの良い前衛サウンドはイーノのアンビエント・ミュージックくらいしか知らなかったので、こういう方法もあるのかと驚いた。

 ところが、他に同じことをする人が少ないという事実を考えると、いかに彼の技術とセンスが卓越していたか、という証明になるだろう。



周回遅れのシューカイ

 いやたぶん一週早かったに違いない。

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観念の話は堪忍してくれ その4


 というより、古い哲学者を読む際に、単にオレの理解力不足だったに過ぎない、などという本当の話は、気にしないようにしてください。

 そんな本当の話は少しもオモシロくないし。

 「言語なぜ」は素晴らしい。

 ・・・と連呼するのもそういう理由です。





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観念の話は堪忍してくれ その3


 というわけで「言語なぜ」がオモシロい。

 観念についてのオレたちの勘違いが、今まで大きな誤解を産んでいた恐れがある。

 カントによる「視霊者の夢」がなぜ「形而上学」へとリンクするのか、なんとなく理解できてしまうのもイアン・ハッキングの功績かも入れない。

 だいたいスウェーデンボリなどという魔術師をどう考えるかなんて、オレたち現代人から見ればカントの仕事ではなかったはずなんだが、形而上学的観念が「じっくり見ると見えてくる、明白過ぎて説明する必要がないもの」だとすると、視霊者の夢はさほど遠くない。

 「言語なぜ」は素晴らしい。




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観念の話は堪忍してくれ その2


 というわけで「言語なぜ」がオモシロい。

 観念についてのオレたちの勘違いが、今まで大きな誤解を産んでいた恐れがある。

 その一つがドイツ観念論へのアプローチの仕方。

 カントやヘーゲルで登場する観念や概念というモノが、言葉なんかでわかるもんじゃない・・・いやそれ以前に「じっくり見ると見えてくる明白過ぎて説明する必要などないもの」だ・・・的なモノだったとすると、ヘーゲルがナポレオンを見て「世界精神が通る」などとアホなことを言ったことも、なんとなく理解できてしまうではないか。

 「言語なぜ」は素晴らしい。





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観念の話は堪忍してくれ その1


 イアン・ハッキング『言語はなぜ哲学の問題となるのか』(以下「言語なぜ」)の前半部、観念の話がオモシロい。

 つまり、17世紀は公共的言説よりも観念≒精神的言説が重視されていた。

 言い換えると公共的言説はある種のノイズに過ぎず、観念はじっくり見れば明白過ぎて説明の余地がないものだった・・・ということらしい。





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シューティング


 佐山はオモシロい。

 あの練習風景は、今なら大問題になるだろう。




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マット・ヒューム


 1994年7月6日。

 問題の試合だった。

 笑うしかない。

 その彼がパンクラスの悪口を言い始めたのはなぜだろう。






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UWF その6


 とはいえ、当初のパンクラスは総合格闘技とは少し意味合いが違っていた。

 それもまた、新日道場の「セメント」の影響下にあったためだ。

 あくまでもカール・ゴッチや藤原喜明の技術が基本だった。

 



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UWF その5


 たぶん船木が、いわゆる「U的な技術」で完全決着するルールを、最初に意識したのは藤原組を出てからだろう。

 それも、リングスやUインターとの差別化として、仕方なく選択したに過ぎない。

 積極的にやりたいわけではなかった。

 ・・・というわけで、バンクラス時代の船木は全般的に暗いし、魂が重い。



 1991年3月藤原組旗揚げ。

 1992年12月藤原組から船木鈴木らが退団。

 1993年4月K-1第一回大会。

 1993年9月パンクラス旗揚げ戦。

 1993年11月UFC1興行。

 1994年8月船木とケン・シャムロックがロスのマチャド柔術へ出稽古。




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UWF その4


 船木は、怪我をして欠場しているときに、漠然と「セメント」を中心としたプロレスを意識したらしい。

 それは彼の頭の中ではギリギリプロレスだし、スーパータイガーや前田が始めたのもそういうモノだという認識だったはずだ。

 とはいっても、彼にとって「セメント」というのは昔の新日の練習の一ジャンルに過ぎなかった。

 いわゆる「総合格闘技」とか「ヴァリトゥード」、「MMA」などと呼ばれるものとは明らかに違う。

 おそらく、「キャッチレスリング的な試合での技の極め合い」を考えていたんだと思う。





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UWF その3


 船木が真剣勝負をやりたくて新生Uに来たというのは正しくない。

 彼は元々プロレスしか頭になかった。

 そりゃそうだ。

 中学を出てすぐプロレスに就職したんだから。





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UWF その2


 とはいいつつも、新生Uはミクロの世界ではなかなかオモシロい。

 船木の胸のブツブツとか。

 うどんがどうしたとか。

 占いがどうしたとか。




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UWF その1


 いわゆる旧UWFの試合はよく観たというか買った。

 新生Uはあまり買わなかった。

 単純に試合がオモシロいのは旧Uだと思う。

 新生は蹴りと間接技だけで試合を組み立てているので、イマイチだ。

 藤原、船木、鈴木といった面々が途中から参加したところで、あまりスパイスとして機能せず。

 せいぜい船木の掌底がドクターストップという「予定外の」結果を産んだくらいか。




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2000年6月11日


 掣圏道(現・掣圏真陰流)が横アリで興行をしていた・・・らしい。

 その場にいたけど。

 掣圏道対PRIDEというか、ロシアの踊るおねーさんが主役だったというか、とにかく格闘技バブルっぽい雰囲気満載だった。

 これも時代の流れというか今となっては考えられないレベルの集客だ。

 個人的な心境としては、ヒクソン・船木戦がメインのコロシアム2000が2000年5月26日だから、オレは傷心故にヤケクソだったに違いない。





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老後の資金 [メモ]


 メモ。

 一般的な話だが、老後、夫婦2人で公的年金以外にいくら必要なのか、という計算が為されている。

 それは退職金を含めて3,000万円ということになっている。

 もちろん一つの目安に過ぎないんだが、60歳を超えてから「3,000万円かよ」とビビったりしないように、準備をしておこう。


 参考値(平成24、25年の統計値)。

 60歳男性、平均余命23年。

 58歳女性、平均余命30年。

 夫婦2人の世帯生活費約26.9万円(単身なら約15.5万円)/月。

 公的年金夫婦2人で約21.6万円(単身なら約12.7万円)/月・・・65歳から支給。

 ・・・と考えると支出計が約8,700万円、収入計が約5,700万円で、3,000万円足りないという計算になる。






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17世紀の思考


 17世紀の思考について想いを馳せるときは、17世紀の音楽が合う。

 単なる気のせいだろうが。





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思い込み


 「自分の考えが絶対に正しい」と言っているうちは、世間をうまく渡れない。

 それは「考え」ではなくただの「思い込み」だ。





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梅の花の歌三十二首の序 [メモ]


 メモ。

<書き下しの例>
 天平二年正月の十三日、帥の老の宅に萃ひて、宴会を申ぶ。時に初春の令月、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。加以(しかのみにあらず)曙は嶺に雲を移し、松は羅を掛けて盖を傾け、夕岫に霧を結び、鳥はうすものに封りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。是に天を盖にし地を坐にして、膝を促して觴を飛ばし、言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。若し翰苑にあらずは、何を以てか情をのベむ。請ひて落梅の篇を紀さむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊か短詠を成むベし。


<読み方の例>
天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(ばいご)の香(かう)を薫(くゆら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きぬがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ほしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。


<意味>
 天平二年正月十三日に、大宰師の大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。時に、初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。のみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。庭には蝶が舞ひ、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれがら満ち足りている。これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。中国にも多くの落梅の詩がある。いにしへと現在と何の違いがあろう。よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。

※書き手は「山上憶良(やまのうえのおくら)」という説が有力らしい。
 →今の研究では、「大伴旅人」というのが有力とのこと。
※天平二年は西暦730年。
※当時、梅は外来種で珍しかった。 





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例のあれ [メモ]


 メモ。

 時に初春の令月、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。


 これが読めるでしょうか。

 ときにしょしゅんのれいげつ、きよくかぜやわらぐ。うめはきょうぜんのこをひらき、らんはばいごのこうをくゆらす。

 ・・・適当ですが、こんな感じだと思います。





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同じ土俵で完全決着


 「同じ土俵での完全決着」を、その内部に含んだのが「不完全燃焼」「不透明決着」の真の姿だ。





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総格衰退の原因


 もちろん黒い筋の影響はあります。






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高田・ヒクソン


 高田がヒクソンに負けたのはそれほどプロレスにとってダメージはない。

 確かにイメージは悪かったかもしれないが、だからなんなんだ、というレベル。

 そのまえに安生が道場破りに行って返り討ちにあった話の方がダメージは大きいような気もするが、安生らしい話なのでそれはそれ。

 ノールールというのは、結局単なるルールだということを認識することで、オレはオトナになった。

 同じ土俵で完全決着・・・という夢は、なかなか敵わない。

 結局金の話になるわけで、夢の話にはならない。

 それが総格衰退の原因なのかどうかは知らないが、今は定期的に興行できる団体が少ないので、残っているところは頑張ってほしい。





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格闘技系の興行


 結局、興行論と勝負論の両方をキッチリ踏まえるしかないんだが、観客が何を観ているかというと、基本は「若者たちの物語」なわけで、「ジジイの回春プロレス」とは無縁なはずなんだが、最近はそっち方面にも需要がありそうなので、やはりプロレスは奥が深いということで。





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オレたちの大好きな極真空手


 そういえば大山倍達が存命時の極真空手には夢があった。

 猪木新日と絡まったイリュージョンの世界だった。

 アレはもう否定されるべき世界なのかもしれないが、選手たちの個性も強く、楽しかった。





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新時代に君臨するためのグレイシー的戦術


 グレイシー柔術の戦術は画期的だった。

 ノールールを想定した戦い方を特化していた。

 オレたちはまんまとそれに乗せられてしまったんだが、今となってみればなんだったのか、という感じだ。

 なぜならば、今の日本では新日本プロレスが結局独り勝ちの状態だから。

 結局、真剣勝負による総合格闘技の興行は、世間的にさほどの価値はない、ということが証明された。

 もっと穏健に言うならば、総合格闘技の興行では、あまり継続して集客できない。





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アンチプロレスとしての修斗


 というわけで、佐山が産んだ修斗と佐山が産んだUWFルールの子供のようなパンクラスは、相容れないものだ。

 とくに修斗の一部からは、パンクラスに対しプロレスラーの癖にガチンコやりやがって的なノリで、事実無根な誹謗中傷が出たりした。

 このあたりの元をただせばマット・ヒューム近辺がイケないと思うんだが、別にどうでもいい。

 あと、○○とかいう記者もかなり問題あったような気がするが・・・。

 要するに相手を叩くことでしか自分を主張できないという子供の論理だ。

 もちろん修斗関係者の多くはオトナだったと思っている。




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プロレス派としてのパンクラス


 要するに他との差別化のたの格闘技路線、ルールでガチガチのスポーツとしての格闘技という、もはやプロレスではないものをやっていたとしても、船木と鈴木の頭にあったのは、たぶん、プロレスだ。

 前田や高田にはネームバリューと実績がある。

 しかし、当時の船木にはまだそれらが足りない。

 ライラバル団体に対抗するために仕方なく、「そういう方向」を選んだに過ぎない。

 画期的なことなんだが、パンクラスの中での船木と鈴木の意識は複雑だったと思う。




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船木に対するいろいろ


 オレは船木がプロレスラーだと思っていた。

 パンクラスの時でさえそう感じていた。

 船木と鈴木はどう考えてもプロレスラーだから。

 しかし、当時はそれを言うと誤解する人たちがいるので、大きな声では言わなかった。





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