UWF その5
たぶん船木が、いわゆる「U的な技術」で完全決着するルールを、最初に意識したのは藤原組を出てからだろう。
それも、リングスやUインターとの差別化として、仕方なく選択したに過ぎない。
積極的にやりたいわけではなかった。
・・・というわけで、バンクラス時代の船木は全般的に暗いし、魂が重い。
1991年3月藤原組旗揚げ。
1992年12月藤原組から船木鈴木らが退団。
1993年4月K-1第一回大会。
1993年9月パンクラス旗揚げ戦。
1993年11月UFC1興行。
1994年8月船木とケン・シャムロックがロスのマチャド柔術へ出稽古。
UWF その4
船木は、怪我をして欠場しているときに、漠然と「セメント」を中心としたプロレスを意識したらしい。
それは彼の頭の中ではギリギリプロレスだし、スーパータイガーや前田が始めたのもそういうモノだという認識だったはずだ。
とはいっても、彼にとって「セメント」というのは昔の新日の練習の一ジャンルに過ぎなかった。
いわゆる「総合格闘技」とか「ヴァリトゥード」、「MMA」などと呼ばれるものとは明らかに違う。
おそらく、「キャッチレスリング的な試合での技の極め合い」を考えていたんだと思う。