新生UWFの船木優治
最初は前田スタイルのバチバチ系のギリギリプロレスをやるつもりでUWFに来たんだが、あまりにも格闘技的というかスポーツ的というかルールがメンドクサイというか、そういう感じで違和感を持っていたらしい。
ただ、船木の試合を観たことでスポンサー候補が離れた(らしい)ことがきっかけで、皆と同様の格闘スポーツ路線をやろうと決めた、つまり周囲に合わせた。
ただそのチェンジが極端だし、しかも若くて才能があったためか格闘技的な技を磨き過ぎたことが、良くも悪くも後の彼のスタイルを決めてしまった。
Uとは何か
「(ターザン)山本、Uはお前なんだよ、Uはお前が作ったんだ」by 長州力。
確かに「U」は「you」とも取れるので「"you"は"お前"なんだよ」という言葉に、何の矛盾もない。
また、個人の人格は親の影響力を除けば、ほぼ自分なので「"you"はお前が作ったんだ」という言葉にも、何の矛盾もない。
さすが長州だ。
・・・いや冗談です。
需要と供給
答がどこにもないのに、答の必要な人がいた場合、答を与えてくれる人は重宝される。
それは本来的な意味での「答」ではないが。
そもそも答だけを求めるという姿勢が間違いということで。
UWF崩壊 続き
あと、骨法のとこのアレですね。
いずれも女性というのが恐ろしい。
いや、いったい何の話でしょう。
UWF崩壊
新生Uの話。
シンサックのとこのアレになった人が、結構影響大きかったのではないか、というのが個人的な読みです。
いろいろ総合して考えると、読みすぎでしょうけど。
いやしかし、いったい何の話でしょう。
精神的言説 [メモ]
メモ。
(・・・)せいぜいのところ17世紀の哲学者の仕事は、言語という労役から離れて、自分の観念に専心することだ。(中略)哲学することから公共的言説をそぎ落とした後で、観念の連鎖、精神的言説へと専念すること。この言説が、哲学にとって関りをもった言語そのものだ。今日の哲学者は「精神的言説」といったものが存在することを否定するかもしれないし、たしかに彼はそれが言説、すなわち言語の一部分ということを否定するだろう。しかしながら、17世紀の世界観にとってこの上なく中心的な存在だったこの精神的言説が、今日公共的言説が果たしている役割と同じ役割を当時果たしたという可能性は残っている。
(『言語はなぜ哲学の問題になるのか』邦訳P65-66)
科学的思考
科学的思考は概ね正しい。
概ね正しい思考を科学と呼ぶようにした、と言いたいくらいだ。
しかし、だからといって科学的思考を絶対化するのは誤りだ。
体力と仕事
体力がないと元気がない。
元気がないと仕事にならない。
仕事はモチベーションでするモノではなく、体力でするモノだ。
会社の電話
そういえば、ある時、突然会社の電話が使えなくなった。
インターネットも使えなかった。
あれは一体なんだったのか。
時代と哲学
哲学書を読んでいると、背景がわからないと理解できないことが多い。
思想的背景なら調べればわかるが、時代背景の場合、なかなか見つけきれないことが少なくない。
アースウインド&ファイヤー
久しぶりにベストを聴いてみたから、演奏レベルが高すぎて驚いた。
JBは別格としても、アース、スティーヴィー、Pファンク等がいたからプリンスなどの天才が産まれたことを知る。
ホッブスと言語
万人の万人に対する闘争とか言っていた人間だが、観念より言語を重視したという変り種らしい。
てゆーか、17世紀のデカルトの同時代人というだけで尊敬する。
だって考える手掛かりがほとんどない中での思索だから。
発熱と読書
発熱中に読んでいたのは『なぜ言語は哲学の問題になるのか』だった。
なぜ発熱中だというのにこんな本を読むのか。
科学的実在論
科学的実在論の特徴は、それを擁護しないと、つい「存在しなくてもいいんじゃねーの」と思われてしまうことにある。
横井庄一症候群
椅子に座るときに、つい「ヨッコイショーイチ」と言ってしまう。
ある一定以上の年齢の方なら、理解してもらえるはずだ。
しかしながら、少し疲れを感じたときに「オーノダ疲労」とは言わない。
ということは、これはある種の魔術だろうか、症候群だろうか。
謎は深まるばかりだ。
ぶっ飛ばして読むハイデガー
ハイデガーをどうやって読むと効果的か。
それはぶっ飛ばして読めばいい。
ハイデガーをデリダのように精緻に読むことは確かに必要だし、仕方がないのだが、単なる苦行という説もある。
それならば精緻に読むのは哲学者に任せておいて、オレたち素人は素人らしく、ぶっ飛ばして読むことにしよう。