言語と欠如
ジジェクは何かを伝えようとするのみならず、伝えることを失敗することによる効果を示そうとし続けている。
欠如と言語
ジジェク的言説は欠如の周囲を言語で埋め尽くそうという試みだ。
なので、失敗する。
つまり、意味の伝達に失敗し続ける。
それがジジェクのアクロバティックな言語展開の理由だろう。
唯狂論
オレは唯狂論者だ。
バカだと思われるのが嫌なので、こういうところで目立たないように主張している。
その主張内容は、すべての人間は狂っているが、多くの人はなんとか誤魔化しながら日常生活を送っている、というモノだ。
要するに異常心理学に関する本ばかり読んでいたので、そういう「思考」を世界の捉え方の中心に置こうというワケだ。
とはいえ、この論を膨らませてどうこうしようという気はない。
つまり、単なる自己弁護に過ぎない。
人気者 その2
ビル・エヴァンスは人気者だ。
例えばグールドと比較すれば、美しさに際立っている。
比較する対象が間違っているんだが。
人気者 その1
ビル・エヴァンスは人気者だ。
例えばモンクと比較すれば、美しさに際立っている。
比較する対象が間違っているんだが。
ビル・エヴァンス
某月某日、某所でビル・エヴァンスのドキュメンタリー映画をやっていたので観る。
涙涙のジャンキー物語で、そういう意味ではクラプトンの映画と大差はない。
才能の質が少し違う感じ。
ちっともFにならない
オレは天才ではないので、天才の気持ちが分からない。
天才に関する記述に対しても「なんとなくわかるような気がする」程度。
ほんのわずかFになる
天才を定義するのは難しいが、それに成功している小説はなきにしもあらず。
そもそも天才とは忘れた頃にやってくるのだから。
・・・違った。
少しだけFになる
森博嗣の『すべてがFになる』は衝撃だった。
内容だけではなく文体も。
天才は忘れた頃にやってくる。
久々に天才に相応しい記述をそこに見たから。
反証可能性
反証可能性は、実に正しい。
それをラカン的に言うならば、激烈なる現実界と繰り返し遭遇することを示している。
科学
ではもっと広く見て、科学をどう考えるか。
これが結構難題だが、やはり「全てに優先する」思想は危険だという発想を、コッソリと傍に置いておくしかあるまい。
科学自身の中に反証可能性を含んでいるにしても。
数学
数学が全てに優先する、という発想は個人的に興味深いが、「全てに優先する」思想は危険だという発想を、コッソリと傍に置いておくのがオレの流儀。
オレたちの好きな戦争
本当に戦争が好きかと言うと、違うに決まっているんだが、部分的にコッソリと好きな要素がある。
それが人間の姿だ。
矛盾
相手の矛盾を突いて追い込んだところで何の得にもならない。
ケンカに勝ったところで仕事が円滑に進むわけではないから。
文化の違い
ビジネスでも文化の違いがあり、それが業界の判断として常識なのか否かを分けることがある。
業界や業態によって判断が違うのは当たり前だ。
非難するのは簡単
デイヴィドソンを非難するのは簡単だ。
簡単すぎて欠伸が出るくらいだ。
立場が変われば言うことが違う。
そんなことすら、どうでもいい。
逆に言うと、擁護するのも簡単だということだから。
擁護
オレはデイヴィドゾンを擁護する気はない。
非難する気もない。
ただただ、彼の思考の変遷を辿り続けるだけだ。
なぜかと言うと、ヴィトゲンシュタインをそうやって少しずつ理解したからだ。
思考実験
オレたちは、常に思考実験をしている。
なので、正しいとか誤っているなどというのは「その時点における評価」にすぎない。
思考実験に伴うリスクを知らずして、思想をどうこう言えるわけがない。