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無とは何か


 ハイデガーによると、有が無となる過程が「無」の本質で、その「無化」の過程を「無」と呼ぶ。

 なので、無そのものというものがあるのではなく、ただ有が無になるか、あるいは有と有の間に隙間=無がある、という考え以外に無はない。

 こう語ることでいったいハイデガーが何を意図しているのかというと、「無そのものは存在しない」ということから、無理に(あるいは無理なく)存在を取り出そうとしている。

 要するに「無そのものは存在しない」から出発して、「しかしながら『無は存在する』と言うことは可能だ」へ至ることができる、ということを示している。

 これはオレに言わせれば屁理屈だし、狂気の沙汰だ。

 逆に言うと不可能を語るための手段を手に入れる、ということを意味する。

 ちなみに、空集合から自然数を作っていくジョン・フォン・ノイマンの構成法が、上記によく似ているのは実に興味深い。





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超越


 ハイデガー的超越とは、要するに主観が客観へどのようにして接近するのか、を考えることだ。

 もちろん「世界内存在」という発想で、既に「対象=世界=客観」と接しているわけで、「今さら何を言っているんだ」状態なんだが、ハイデガーは世界内存在の構造の中に「超越」という考え方が入っている・・・・と仮定したものと推測する。




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