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シーソーの二つの運動 [メモ]


 メモ。

 マクダウェル『心と世界』より。

(・・・)デイヴィドソンの考えによれば、経験は感性に対する概念‐外的な衝撃以外の何ものでもありえない。したがって彼は、経験が理由の空間の外になければならない、と結論する。デイヴィドソンに従えば、経験は主観の信念や判断と因果的に関連しているが、信念や判断を正当化したり保証したりするような関係にはなっていない。デイヴィドソンは、「ある信念をもつ理由と見なせるものは、他の信念以外にはない(引用者註:「斉合主義」の説明)」と言うが、それで言いたかったのはとくに、経験がある信念を持つ理由とはみなせていない、ということだ。もちろん私は、こうした考え方の出発点には同意する。しかし、結論にはまったく満足していない。デイヴィドソンは、所与の神話から後退して、経験が正当化する役割をもつことを否定するが、斉合主義の結論は、摩擦のない自発性という考えのひとつののバージョンだ。(・・・)これはまさしく、私が語ってきた振動(引用者註:シーソーの動き)における、もう一つの運動だ。




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危ういエッジの上


 ときどき危ういエッジの上にいると感じる。

 仕事なんてのはそんなものだ、と考えることもあれば、だからこそリスク管理をしないと、と思うこともある。




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