主体性
精神分析の素晴らしいところは、(そのテキストの読者を含めて)関係する個人に、個人の経験として、すべて跳ね返ってくることだ。
逆にいうと、「これが正しい」読み方というものはない。
それらのテキストが、オレたち自身を主体化させる。
理論を議論するのではなく、テキストによる影響を受け止め、咀嚼し、血や肉としていくことがオモシロイ。
精神分析の理論を系統的に辿っていくのは、学びの姿としては、道をそれている感じがする。
それらの理論から派生するものを、つまりテキストそのものを自らのものとして受けとめて、自らを多形倒錯的に変形させていく過程こそが、オレたちの喜びではないのか。