読むという行為 その2
『名指しと必然性』の代わりに、今、同様な効果を期待して読むとすれば、セラーズの『経験論と心の哲学』か、ブランダムの『推論主義序説』、マクダウェル『心と世界』になるだろう。
誰かオレの代わりに読んでくれるとありがたいのだが。
読むという行為 その1
クリプキの『名指しと必然性』は、オレにとって稀有な経験をさせてくれた。
つまり「読んで理解する」ことよりも、「読む」ことの遂行性の重要性を感じさせてくれたからだ。
クリプキの議論についていくこと、しかも酒に酔った状態で。
それがいかにオレにとって重要だったかなど他の人には解るまい。
解られたところで困るし。