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精神分析は哲学ではない


 前からもチラホラ言われてはいたが、精神分析は哲学ではない、と、ここ数年、盛んに言われ始めたのはミレールの影響か。

 ジジェクやバディウの「普及活動」を黙認してきたくせに、いまさら何を言っているんだ、という感じなんだが、そこは政治的な何とやらで・・・いやミレールのプライドの問題か、つまり独裁政権の弊害か、あるいはビジネスとしての精神分析(というジャンル)の生き残りを賭けた、捨て身の足掻きなのか。

 精神分析が哲学かどうかは、ソクラテスがどこまで精神分析的か(『饗宴』を読もう)ということに掛かっていて、ということはつまり、精神分析の支持者たちがソクラテスは馬鹿だと言いたいのか・・・ということの真偽を、第三者審議機関の人たち(たぶんプラトンが適任)に聞きたくなる。

 あるいはまた、ヘラクレイトスからニーチェへと至る系譜が精神分析とまったく無縁なのかと問うだけの知性が、オレたちに不足しているという確信もある。

 いずれにせよ、精神分析が哲学ではないというのは、ソクラテス的には正論だが(くどいようだがこの事情を知るには『饗宴』を読むしかありませぬ)、そのようなソクラテス的正論の「幅」を、精神分析の側がどれだけ理解しているのか、という本質的な問題が残っている(蛇足として一応書いておくと、少なくともミレールの師は、その「幅」を理解している)。

 精神分析は哲学ではない、と主張する人たちは簡単に、神話も捨ててしまうのだろう・・・でもそれは「神」を棄てる袋とは別の袋に入れて、資源ごみとしてリサイクルしないと。









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