レバンテ対バルサ
リーがエスパニョーラ第12節、レバンテ対バルサ。
この試合をよく見直してみたら、実にバルサらしい敗北だということが分かった。
「バルサの哲学」と「現実的対応」のバランスが悪かったというよりは良すぎてダメだった感じ。
もう少し哲学とともに殉死するか、あるいは哲学を捨てバルベルデの適応能力にすがるか、どちらかを強く選べばもう少しまともな試合になったはずだ。
バルサはポゼッションに失敗することを前提としていない。
それが失敗すると高速カウンターを食らう。
2点目を取られる寸前のポジショニングをストップして眺めていると爆笑してしまう。
実にバルサだ、昔からずっとそうだ。
具体的な問題がどこにあるかというと、メッシとスアレスが守備をしないとか、グリーズマンが守備をしすぎるとか、デ・ヨングが前に出すぎるとか、左サイドバックが攻撃参加しすぎるとか、センターバックのポジション取りが悪く間が空いたとか・・・ではない。
単に中盤をすっ飛ばされた時の戦術を忘れてしまったのだ。
それを思い出せばまあまあの戦いはできる。
哲学は不変としても、戦術の基本は相手と同じことをやるか、あるいはまったく別のことをやるか、この二つしかない。
どちらを選んでもバルサの選手ならうまくやるだろう。
ドストエフスキー
ドストエフスキーが何を語りたかったのかはどうでもいいが、少なくとも当時のキリスト教のあり方に問題があると考えていたようだ。
それどころか神なき世界の・・・すなわち現代的な慄然とするような暴力的犯罪について、少なからず予言的役割を果たしている。
あるいは神なき世界が生んだ矛盾によって不可避になってしまった心の病も予言している。
とはいえ、彼を神格化することは実にくだらない。