ラカンの理解
そういえばラカンを理解するのにラカンを読む必要はあるが、それだけでは到達が不可能な側面もある。
なので、ジジェクを読むという手があるし、フィンクを読むという手もある。
日本人による文献では松本卓也という選択肢もあるので、オレたちは恵まれているのかもしれない。
「アンコール」が翻訳されたのがどういう事情か知らないが、一つの手掛かりとして提出されたことには大いに感謝しよう。
昔ほどラカンに依存している暇がないので、積読以上の読書にはならないんだが、これもまた、効果的かつ典型的な相互受動性と理解している。
哲学の道 その2
ある意味プランBなんだが、そのほうが思考が分散化し発展していくという副産物はなかなか見逃せないものがある。