性関係は不動 [メモ]
メモ。
性(性別)は不動だ。これは異性愛主義的的発言ではない。実際それは、異性愛主義に真っ向から対立する主張かもしれない。なぜなら、性を社会の命令に従わせ、性に社会的な意味を帯びさせるのは、性をシニフィアンに従わせることによってだから。要するに、バトラーは、主体を言語と同じ水準に位置づけようと思いながらも、主体を言語を具現したものと見なし、結局は、主体を言語の下に劣位に位置づけることになる。自由は、「能動的な力(agency)」は、こうした図式の中では考えることができない。
(コプチェク1 P256)
つまり「性関係は固い」ということは、「固い核は固い」ということの本質を表している。
言い替えると、これを理解するには、固い核は固くない、ということから考え始めるべきだ。
固い・・・というからにはそこに確固たる存在をイメージしてしまう、それがイメージの罠だ。
精神分析における「存在」とは、シニフィアンや客観的な外部に保証されるようなものではなく、主体の欲望や享楽の弁証法のなかで紡ぎ出されるものだ。
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