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神話の位置 [メモ]


 メモ。

 これこそが、最終的な分析から明らかになる、「ポストモダニズム」の実体だ。それはモダニズムのあとに来る何かではなく、むしろまったく単純に、モダニズムに内在する神話だ。ハイデガーは、哲学以前の段階にある神話的「アジア的」宇宙の克服のなかにギリシアによる地平の突破、すなわち「西洋」を創始する行為を位置づけた。つまり、西洋にとっての最大の対立物は、「一般性においては神話的なもので、特殊性においてはアジア的なものだ」。しかし、この克服は、単に神話的なものを捨て去ることではなく、神話的なものとの(その内部での)絶え間ない闘争だ。哲学は神話にたよる必要がある。それは、その教義となる考え方を教養のない大衆に説明するという外的な理由からだけではなく、みずからの内的な核へ到達しようとする哲学の企図が失敗する場所そのものの、哲学の概念体系を「縫合」するためでもある。つまりは、プラトンの洞窟の神話からフロイトの原初的父の神話、そしてラカンの薄片 lamella の神話にまでみられる内在的な理由からだ。したがって、神話 はロゴスの〈現実界〉だ。取り除くこともできず、かといって残留させておくこともできない外的な侵入物だ。それこそがアドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』の教えだ。啓蒙はつねにすでに、素朴な神話的直感を「汚している」。啓蒙自体が神話的だ。いいかえれば、啓蒙を創出する身振りは、神話的な機能を反復する。そしてポストモダニティとは、啓蒙の勝利による啓蒙の最終的な敗北以外の何だというのか。啓蒙の弁証法がその絶頂に達するとき、活力にみちた根無し草的なポスト産業社会は、すぐさまみずからの神話を生み出す。
(全体主義P51)





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