言葉
シニフィアンは、トラウマの構造を構築するときもあるし、横滑りを続けるだけのときもある。
主体の位置を決定する働きもするし、主体を不安にする働きもする。
あるいは、言葉は対象aのひとつなので、欲望(あるいは欲動、享楽)の対象にもなる。
この言葉の多様性こそが、事態の複雑さを示している。
それはつねに失敗している。
なので、無意味だと思ったり、ある特定の史観に囚われたりする。
それは非構造的な構造だ。
つまり、非言葉的な言葉だ。
例えば、父性的なものが崩壊した後に、何が続くかというと、その崩壊が続いていくだけだ。
構造は崩壊するが、その崩壊という「構造」は瓦礫として残る。
いくらかの再建築を試みようとする多様な動きはあるだろうが、それらは叶わない。
叶わないことを嘆くのではなく、叶わないことを認めていきたい。
そして、そこにまったく手掛かりが無いわけではない。