否定神学
否定神学は否定神学ではない。
デリダ的な否定神学は、東浩紀のデビュー作を読んで思い起こされるような否定神学とは違う。
それは、『名を救う』を読めばわかるはずなんだが、オレ自身がまだそこまでに至っていない。
とはいえ、「否定の道」「否定的な道」と訳されるあれやこれやが、否定神学との親和性が高いことが、彼自身によって記されている。
それは永遠の抽象性というか、どこにも所属しないような、どのような位置づけも拒否するような、どのような解釈からも免れるようなモノに類似し、同時に依拠している。
「存在の彼方にある極端な存在」というようなイメージは、否定神学のイメージとは違う、という読み方が可能ならば、否定神学は否定神学ではない。
2020-10-06 06:00
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