テロルの現象学
山形浩生が笠井潔の『テロルの現象学』を批評していて(正確には再読前の印象)
これがたまたまオレのツボにきて、オモシロいと感じた。
元々山形氏のことはあまり評価していないんだが、これは真っ当な意見(というか感覚)の一つかと。いろんな人の意見があるよ、ということで、これは認めておきたい。
「現象学的直観」については、オレ自身は懐疑的だが発想として好意を持っている。だから山形氏とはかなり意見が異なる。
ただし、集合観念と共同観念の違いについては、オレはあまり好意的ではない。左翼的な運動を前提として・・・必然的なもなものとして扱っているからこういう発想になるのではないか、という意味で。
だからといって否定的でもない。左翼の理論家だった人が左翼的な発想をするのはごく自然だし、笠井氏はマジメに自分の頭で熟慮したうえでの結論だから。
ふだん感情的な書き飛ばし傾向の多い山形氏(もちろんそういう演出だろう)が、ときどきオレのツボにはまる。この文章ははまった。矢吹駆シリーズまで読まなくなったって、あんたそれメンドクサイ読書行為を回避しただけでしょ、というツッコミを恐れずに書いているところが清々しい。だってもっと難解でメンドクサイ本をたくさん読んでいるんだし。
そのあたりのパンクっぽい危うさが氏の魅力だったりするんだが、思想家としてはそれでいいのかというと、たぶん違うと思う。
ちなみに山形氏の本当の再読後の感想はこっちだ。これはこれで痛快なんだが、オレは単なる矢吹駆シリーズのファンにすぎないので、『テロルの現象学』方面はあまり気にしないようにしよう。
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