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ジジェクの変遷~ポストモダンの破壊者


 ラカンの変遷が網羅的に語られてしまった(松本卓也『人はみな妄想する』)ので、当ブログでは意味もなくジジェクの変遷に少し触れておこう。

 初期のジジェクはなんといっても「モノ」が中心で、それを基に理論化される思想だけが「ポストモダン」だ、などと寝ぼけたことを平気で書いていた。要するに否定神学的な発想は単数だろうが複数だろう幽霊だろうが、つまりポスト構造主義のほとんどを含め、「モダン」の側にある、としていた(『斜めから見る』)。

 ところがいつの頃からか、彼は資本主義経済体制の欠点を並べ立て、マルクス主義的な革命の可能性を、以前よりもさらに強く主張し始めた。

 ただ、マルクスだと齟齬をきたす(齟齬が生じるから革命が成立する、という側面もある)ようで、ヘーゲルやシェリングを随所につまみ食い的に混ぜながらレーニンを基軸に(そういえば盟友バディウは毛沢東を基軸にしている)、新しいマルクス系理論・・・というかそれを睨んだ資本主義文化の分析・・・を展開しようとしている。

 で、個人的には革命理論にはあまり興味がないんで、そのベースにある論理展開(論理形式)をじっと眺めていると、例外的な「モノ」を語ることよりも、資本主義内の限界を語ることが多くなった。「モノ」を語るのではなく、その代用として象徴界に表れる対象aを語り始めた。

 これは一見、現実界から象徴界へと論点を移行するようにみえながらも、実は男性的「例外」から女性的な「すべてではない」への移行となっており、ラカンの変遷に準じていて必然的に思えるが、果たして本当にそうだろうか。

 その真偽はともかく、ジジェクがそうなってしまったので、ポストモダンは壊滅し、世の中モダンだらけになってしまった・・・ポストモダンを破壊し、モダンへと時代を引き戻したのは、ほかならぬジジェクだった。

 ・・・という下らないオチを書きたいがために、この文章は書かれました。悪しからず。





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