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若さ


 若くもないのに若さを求めるのは間違っている。

 とはいえ、ある程度は元気があったほうがいい。






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適当な話


 いろいろ適当なことを書いてしまった(哲学者的ではなく批評家的に書いたという意味)が、哲学史というのはいろいろな軸で考えることができるのでオモシロイ。







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ガブリエル


 新しい実在論の考え方でも、メイヤスーとは違い、「言語的なディアレクティケー」の側に存在論を打ち立てようというのがM・ガブリエルだ。

 共著を書くほどだから、ジジェクの否定神学的弁証法と親和性が高く、それに後期シェリングの存在論を組み合わせたような展開になっている。





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メイヤスー


 メイヤスーの思弁的唯物論は、「数学≒科学」対「言語的なディアレクティケー」の図式で考えると、「数学≒科学」の側にいることがよくわかる。

 この場合は「言語的なディアレクティケー」が相関主義というわけだ。

 師匠のバディウは数学の集合論を軸として存在論を展開してしまうようなオッサンなので、弟子も多少影響を受けるのは仕方がない。





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否定神学 その2


 ジジェクはラカンの側にいるのだから、当然「否定神学」的だ。

 で、否定神学的にヘーゲルの「ディアレクティケー」(弁証法)をとらえる。

 つまり、イデオロギーによる(原初的)主体の排除がなければ、近代的主体も国家も、そして何よりもイデオロギーそのものが完成しない、という逆説的な弁証法によるロジックを展開し続ける。





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否定神学 その1


 否定神学は、東浩紀『存在論的、郵便的』の図式によると、デリダを立たせるためのラカンに対する悪口だ。

 ただ、ソクラテスと後期プラトンの「ディアレクティケー」が対立していると考えるならば、ソクラテスは否定神学の側にいることになる。




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心の哲学


 ところが個人的には、プラトンやアリストテレスの「数学≒科学」対「言語的なディアレクティケー」という図式は非常に重要だ。

 つまり、心の哲学のひとつのテーマ、科学的言説と日常的言説の対立を垣間見るからだ。

 要するに21世紀になっても、哲学はソクラテスの時代からずっと同じことを巡って思考しているのではないか、ということになるのかも。






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プラトン その2


 『国家』の中では、数学とディアレクティケーは対立している。

 数学は仮説を前提としてコツコツと組み立てていくイメージ。

 ディアレクティケーは、仮説を次々とぶっ壊しながら本質=原理を追及していくイメージ。

 たぶんプラトンの「数学」は、アリストテレスの「科学」と密接な関係にある。

 とすると、福田センセのアリストテレスからの引用はやや、我田引水的なところがあるのかもしれない。





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プラトン その1


 プラトンの後期では、ディアレクティケーはイデア論と密接なつながりをもつようになる。

 つまり問答法の先には、ものごとの本質=イデアがある、と。




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福田恆存


 福田恆存の『論争のすすめ』に書いてある「ディアレクティック」は、同じ「ディアレクティケー」だが、「弁証法」のことではなくソクラテスやプラトンの「問答法」と考えるのが自然だ。

 福田恆存が引用したアリストテレスは、そういった言語的な技術より科学の方が上だと考えていた、という主旨になる(たぶん福田センセがそう強調したくて引用したものと推測する)。




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