長い読書
難解な本を読み始めると、たぶん積読を含め何年も読み続けることになるんだが、いったんの区切りとしては半年くらいかかる。
そうなると、もはや読書ではなく受講のようなものだ。
しかし、いろんな文献を参照しながらということになるので、結果として包括的な読書体験となる。
インペリテリ
インペリテリの「スタンド・イン・ライン」(1988リリース、録音は1986)のMVがネットに残っていたので観る。
ドラムがパット・トーピーだというのも、知ってはいたけど改めて驚く(映像は別人)。
関係
ヘーゲルとフッサールとハイデガーとの関係を紐解いていくと、なかなかワケワカメでオモシロイ。
ただ、フッサールとハイデガーは、ヘーゲルを乗り越えようとしている。
そして、乗り越えるために、トリッキーな方法を取っている。
差異の理由
例えば、プラトンの『ソピステス』と『ティマイオス』とでは主張がズレているではないか、との指摘があるかもれしないが、それはあの時代が・・・というか、そもそもギリシア哲学とは・・・ということを考えれば、おのずと理由が見えてくる。
オレたちは、まだ学習の途上にいる。
存在論
存在論について何かを言おうとすると、きっとハイデガーになる。
だからオレは、そこに触れないように、逃げまくっていた。
症状の世界は、妄想(幻聴)がメインなので、敢えて存在を考慮しなくても良い世界だ、という言い訳ができるし。
逐語訳
逐語訳はクソの役にも立たないときがあるが、しかし有効なときもある。
なので古い訳が多い岩波文庫を重宝している。
長谷川宏訳
デリダの話をするなら、長谷川宏訳のヘーゲルは弱点になるかもしれない。
そうでなければ、長谷川訳は、ある意味最強だと言える。
向こう側
とはいえ、デリダは敵というか、敵というより「向こう側」の人だし。
ときどきオレの中の四分の一くらいは「向こう側」行くこともあるので、それがダメなのかもしれない。